PROFILE
企業名
株式会社バイオインパクト
お名前
杉原 淳一
生年月日
1975年7月16日
出身地(都道府県)
愛知県
出身校
名古屋工業大学
あだ名
スギ
キャッチコピー
科学技術の社会実装による、より進んだ世界の実現を目指す男
夢
日本の研究.comで未来を創る
社名の由来
起業当時、ディープインパクトという競走馬がいたので引用しました。
人生成分6つのキーワード
音楽、熱帯魚、営業、研究者、豊田市出身、東海高校
部活、特技
サッカー部、フットワークの軽さ
趣味
食事、音楽など
尊敬する人
徳川家康
好きな映画
最高の人生の見つけ方
人生のバイブル
山崎荘八、徳川家康に関する書籍
カラオケ十八番
尾崎豊『永遠の胸』
苦しいとき励みになった経営のテーマソング
THE BLUE HEARTS『TRAIN TRAIN』
好きなファッションブランド
BOSS
休みの日の過ごし方
やることを早めに終わらせてレコード整理
CEO STORY
Q1
A.あなたを良く知る人物に紹介してもらってください(他己紹介)
「国内唯一無二の研究者データベースを運営する会社の社長。自身を「フッ軽(フットワークが軽い)」と称し、基本的にどんなお誘いも断らない。実際経営者仲間など多くの友人がいることから、スケジュールは休みなくびっちり埋まっている。人付き合いは「信頼」を信条とし、信頼する人同士を「人つなぎ」するのを心から楽しんでいる。美食家で、予約のなかなか取れない名店にも顔がきく。でも、だいたい二次会は12時をまわると睡魔に負ける(笑)」
Q2
B.上記であなたを紹介してくれた方はどのような存在ですか
江部さんは、ここ3、4年親しくしている方です。保険の営業をなさっているのですが、仕事でもプライベートでも行動を共にすることが多い方です。私は、基本的に人ありきのビジネス、つまり、その人の人となりを知ってからビジネスでの関係を構築するスタイルを貫いています。ビジネスの協業関係におけるサービスもパフォーマンスもその人についてくると考えているからです。保険に関する豊富な知識をお持ちの江部さんには、仕事で事業関係の保険についてアドバイスをいただいています。また、プライベートでは、友人として人生を豊かにする有意義な時間を共有しています。
Q3
C. 事業内容を詳しく教えてください
私たちは「日本の研究.com」という国内の研究課題や研究者についての国内最大級のデータベースを運営しております。
この「日本の研究.com」を中心に、「研究成果を生む」「研究情報を広める」「研究者を生む」という3つのサイクルを加速させることで、環境改善や研究が評価される文化の構築に貢献することを目指し事業を展開しています。
Q4
D.どんな学生でしたか
愛知県豊田市の出身なのですが、地元の公立中学校に男子生徒は「丸刈り」という校則がありました。私はそれがどうしても嫌で中学受験をし、隣の岡崎市にある付属中学校に1時間かけて通学をしていました。高校は、超進学校で有名な東海高校に進学し、今度は家から2時間かけて名古屋まで通学をすることになりました。ところが、この高校生活で少し気が緩み、勉強の方が疎かになってしまったのです。結局、私は、一年浪人して名古屋工業大学に入学しました。大学生になると一人暮らしと同時にアルバイトも始めました。しかし、そのアルバイトに熱中しすぎたことが仇になり、後になって卒業保留の原因になろうとは、夢にも思いませんでした。
Q5
E.学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください
大学を卒業すると、理科研株式会社に就職しました。この会社は、先進科学に関わる研究資機材を専門に扱う商社でした。東京に配属となり、大学の研究室などを営業で担当しました。入社当初から、他の社員の5倍近くの研究室を回ることを日課にしていました。人一倍の努力の甲斐もあり、営業成績も好調であった私は、入社して半年で部下まで持つことができました。非常に順調な会社員生活でしたが、それでも4、5年もすると何か新しいことをしたいと思うようになりました。研究室を回って仕事をしている間に、研究業界での「ネットワーク」の重要さに気がつきました。ネットワークの構築には「きっかけ」が必要です。当時は、どこの大学の研究室も、そこに行かなければ研究課題や研究に使われている機材もわからないような状態でした。このアナログな世界をデジタル化し、情報というネットワークでつなぐことができれば、研究者にとっても研究を支える側にとっても大きなメリットがあるのではないか。そう考えた私は、研究を取り巻く情報そのものの価値に着目し、研究情報のデータ化、ネットワーキング化をコンセプトに起業をすることにしたのです。
Q6
F.最近感情が動いたエピソード
自分が全く知らない新しい世界に足を踏み入れる機会を得ることができたことです。昨年のある時期まで、自分が同じ世界に留まり続けているようで、窮屈さを感じていました。そんな時、格式のあるお店に行く趣味のある方たちから、一緒に行ってみないかと声がかかったのです。このような機会は滅多にありません。そのようなお店は、単にお金があるからいけるという訳でもありません。また、超一流という言われのあるお店は、それこそ各業界のトップクラスの方々が集まる社交場です。独特の品格と雰囲気が漂う空間で、異業種のトップの人たちと交わす会話の中には、常に新しい発見があります。新しい店の扉を開ける度に、自らの見識を広める機会をいただいています。それは、何事にも代えがたい新鮮で貴重な経験となって今に至っています。
Q7
G.汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)
会社を辞めて起業した時が、最大の危機でした。会社を辞める直前まで、アカデミックの最先端にいる研究者を相手にしていたので、DXも含めた日本のデジタル化の普及も秒読みであるように感じていたのです。ところが、実際の日本社会はというと、デジタル化社会への意識がそこまで成熟していませんでした。市場の準備が整っていないところに進出したわけですから、確かにライバルもいないのですが、対象となる顧客の確保に非常に苦労することとなりました。完全に、見切り発車だったということです。その後6、7年は苦労の日々が続きましたが、持ち前の機転で何とか危機を乗り越えることができました。そして今、機は熟し、私は、国内初のアカデミックに特化した研究データベースメディアサイトの運営を軌道に乗せることに成功したのです。
Q8
H.経営危機をどのように乗り越えましたか
起業をしてすぐに、私のビジネスアイデアが当時の日本にはまだまだ前衛的だということに気がつきましたが、もう後には戻れない状態でした。自分のアイデアが、いずれは「時流」に乗ることを信じていたので、その「時期」が来るまで会社を続けることに集中しました。明確なロジックはないにせよ、自分が使えるありとあらえるオプションを駆使し、すがれるものにはすがってこの危機を乗り越えることができました。その時、「費用をかけないでできることは何だろう」と知恵を絞って閃いたのが、インターネット上の情報を活用してデータベースを作るというアイデアでした。こうして生まれたのが「日本の研究.com」です。
Q9
I.社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い
社員には、自分で考えて行動し、結果を導き出すことができる人材になってほしいと思っています。私は会社で仕事の進め方に悩んでいる社員を見ると「作業に落ちるな」と、半ば口癖のように言っています。ある時、ランディングページの作成で頭を悩ませている社員がいました。私がその社員に「目的と手段が逆転していないか」と問いかけると、その社員は「はっ」として思考を軌道修正し、無事に問題を解決したのです。私は、社員に常々「作業の意味を考えるように」指導しています。社員、一人一人が会社の成長を支える重要な人材です。社員には、物事を俯瞰して世の中の先の先まで見ることができる人間に育ってほしいと思っています。
Q10
J.リーダーシップのスタイル
私は、自分のビジネススタイルから、社員に自らのあるべき姿を学んでほしいと思っています。社員に直接助言をすることもたまにありますが、社員一人一人に「今、会社のファンクションとしてどうすべきか」を自ら考えさせることに重きをおいています。未来を予測して「今すべきこと」を考えるビジネス感覚も、社員に身につけてもらいたいスキルの一つです。変化の速い現代において、常に自分を高めることを意識してもらわなければ、少数精鋭の会社経営は成り立ちません。目の前にある課題とその作業をやっつけ仕事のように扱うのではなく、高い視座を持って業務に取り組む、社員にはそんな人であってほしいと願っています。
Q11
K.事業を通して実現したい夢
日本における知的活動、すなわち、研究活動の環境を改善し知的探求活動を活性化することが、事業を通して実現したい夢です。今、私たちの生活を便利にしているさまざまなものは、誰かが研究を極めた成果に他なりません。しかし、私たちはその発明の裏にあるドラマ、技術、発見を何気なく使っていることが多いのではないでしょうか。研究者たちの研究にかける情熱を目の当たりにしてきた私は、日夜地道に研究に励む彼らの姿を広く知ってもらうことを目的に、科学技術の啓蒙も事業目標の一つとして掲げています。研究活動を誰の目にも見える形にすることで、知の価値が真に評価を受ける文化を日本の社会に根付かせることが、私たちの夢なのです。
Q12
L.夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり
私が事業でこだわり続けていることは、日本の研究の可視化とネットワーク化によるアクセスビリティの強化です。研究で得られた成果は、研究の集大成であると同時に、その研究過程も含めて新しい技術の開発や物への応用の基礎となる可能性を秘めた原石です。研究の成果を広く社会に認知させ、ひとつの研究からあらゆる可能性を導き出すことが、日本の社会や経済に影響を与える力になることを信じています。これまで日本の研究が日本社会を、世界を豊かに変えてきました。これからも日本が技術大国であり続けるために、当社の活動を通じた研究に関する情報発信で、日本を「より進んだ世界」に押し上げたいと思っています。
Q13
M.社会貢献、地域貢献、SDGsに関して実行していること
バイオインパクトは、「日本の研究.com」を中心に、研究をあらゆる角度から縦横無尽にネットワーキング化し、サポートする事業を展開しています。それだけにとどまらず、研究を支援するさまざまな活動にも参加し協力しています。昨年は、2月に鹿児島県、7月に福島県で開催された地域発の科学技術の振興を目的としたコンクールにパートナー企業として参加し、私自身も審査員を務めました。桃が基幹作物である福島県で開催された「第5回福島テックグランプリ」では、手摘みの際に桃にかかる圧力を可視化するデータグローブ「WonderGlove」の研究開発にバイオインパクト賞を贈りました。
Q14
N.自社の強み、面白い制度
バイオインパクトの強みは、何をおいても「日本の研究.com」で提供している国内最大級の研究に関するデータベースです。「日本の研究.com」を中心に、研究を取り巻くあらゆる課題にアプローチをしています。このデータベースは、各省庁や研究機関の科学研究費助成情報、研究者情報、プレスリリースまでを網羅しているので、研究試薬・機器会社等の販売支援事業や、製薬企業等の産学連携マッチング、更にはKOL探索サービスの提供までも可能にしています。この知的データの集積である「日本の研究.com」を基盤に、「研究成果を生むインフラの整備」、「研究情報の配信」、「研究者を生む土壌を育てる」という活動を精力的に展開しています。
Q15
O.若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ
現代の若者には、いつ、どんな時でも思考を止めない人間になってほしいと思っています。考えることをやめてしまえば終わりです。それ以上、自分を成長させることができないからです。若いうちから、何事にも興味を持つ地頭を育てる機会を持つことが大切です。そのために、本を読み、いろいろな場所に身を置いて感受性を鍛え、多様性を育むことが必要です。若い間に自分の力を蓄積して、基礎力を作っておくのです。社会に出れば、人はいろいろな困難にぶつかります。その困難は、テンプレートで解決できるものではありません。困難にぶつかった時に、それまでの人生を通して蓄積した人間としての基礎力が、結局は苦難を打ち破る力となるのです。
Q16
P.家族へのメッセージ
会社の事業が軌道に乗るまでの期間が長かったので、家族にも苦労をかけた時期が長かったと思います。そのぶん恩返しの意味もこめて、家族には最高の贈り物を送り続けています。それは、自分が出会った各業界の一流と言われる人々を、家族にも引き合わせることです。特に、私は自分の子供たちにそのような方々と話す機会を与えるようにしています。感受性の高い子供の時期に、その道を極めた方々と直接対話するという体験は、普通の学校生活で得られるものではありません。子供たちの将来を左右する出会いがあるかもしれませんし、人生を豊かにする人との出会いをこれからも届け続けたいと思っています。
Q17
Q. 社長の推しポイント ※社員さんからのコメント
入社当時、人を増やすことは会社にとってリスクが大きい中、業界知識が少ない状態の自分を受け入れてくださいました。杉原社長は、人との繋がりを大切にする方です。お客様の同僚のようなベストパートナーになることを大切にして事業を行なっていらっしゃいます。
COMPANY PROFILE
- 社名
- 株式会社バイオインパクト
- 設立
- 2006年4月2日
- 社長就任
- 2006年4月2日(創業社長)
- 業種
- 情報通信
- 事業内容
- アカデミア研究業界のデータベースメディア運営
- 提供価値
- 研究成果を世の中へ広く伝える
- 本社
- 〒160-0008
東京都新宿区四谷三栄町15番4号
第一原嶋ビル802
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