PROFILE
企業名
株式会社B.L.S
お名前
渡辺 堅
生年月日
1961 年 9 月 30 日
出身地(都道府県)
山梨県
出身校
山梨県立宝飾美術専門学校
あだ名
ケンさん
自分の名前の由来
父の友人が事業で大成功した起業家の名前が堅という方でした。
キャッチコピー
歩くパワースポット
夢
甲府のジュエリーを日本へ 日本から世界に広めたい
社名の由来
成功へ向けて絆を結ぶ!【Bonds Linking for Success】の頭文字です。
人生成分6つのキーワード
宝石、家族、厨房器具やの長男、ギター、ホテル、その他
部活、特技
剣道
趣味
ギター
尊敬する人
母
好きな映画
燃えよドラゴン
人生のバイブル
出口秀麿『生きがいの創造』
テーマカラー
赤と青
ゲンかつぎアイテム
ネクタイ
パワー飯
お寿司
好きなお菓子
チョコレート
底力の源
妹
カラオケ十八番
X Japan『Tears』
苦しいとき励みになった経営のテーマソング
長渕剛『Hold Your Last Chance』
自分を動物に例えると
猿
好きなファッションブランド
Ptolemy48(メガネブランドです。)
子どもの頃の夢
アクションスター
生まれ変わったら何になりたい
宝飾職人
休みの日の過ごし方
読書
CEO STORY
Q1
上記であなたを紹介してくれた方はどのような存在ですか
神奈川大学時代から交流があって、かれこれ 32~3 年の付き合いのうちの専務です。彼は自分の弟のような存在です。実は以前、私の妹の彼氏だったこともあります。独立する前の会社でも一緒だったのですが、私が 2011 年 8 月に新しい会社を設立したとき、専務として入社してくれました。
Q2
どんな学生でしたか
活発な学生でしたね。高校では剣道部の部長や生徒会副会長。学生会の実行委員長をしながら、ライブなども行っていました。テキパキと行動派なんだけど、おっちょこちょいな一面もありました。高校を卒業したらコックかホテルマンになりたいと思い、東京・新宿にある『東京YMCA 国際ホテル専門学校』に入学したんです。その専門学校では即戦力になるホテルマンを育成するということで、軍隊並みにかなり厳しくしごかれましたが、2 年間耐え抜きました。
Q3
学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください
ホテルの専門学校のとき結構優秀だったので、ホテルオークラに就職できる感じだったのですが、将来を悩んでいたんです。すると父親から「地元の山梨は宝石が盛んだから宝石業界はどうだ?」と言われて。実際に目にしたら、ジュエリーが大好きになりました。20 歳の春に「職人」として親方に弟子入りし、昼間は 2 年間、宝石の専門学校に通いながら、寝食を忘れるくらいジュエリーを作ることに没頭。通常 5 年はかかるところを、3 年間で技術をマスターしました。ところが父親がパーキンソン病を患ったため、看病のために 23 歳で一度職人を辞めました。父親を見ながら、在宅でアメリカの米国宝石学会の石の鑑定資格を取得。父親の病気が落ち着いてきた 25 歳のときに御徒町の宝石の営業マンとして就職し、3 年でトップセールスマンになりました。その後、山梨に戻りジュエリーの製造会社を友人と立ち上げることに。専務として入社し、しばらくは良い時代だったのですが、バブルがはじけてからの 15 年間は地獄のように苦しかったです。借金は残っていましたが、借金を二分して背負い、2011 年に独立という形で今の会社を起こしました。
Q4
最近感情が動いたエピソード
今、全国を営業で回っていて思うのは、人への感謝です。各地で私の思いに賛同し、無償で応援してくれる人が出てきてくれています。涙が出るほど嬉しいですよ。いろんな方たちと出会えるので、体はきつくても心は充実しています。やっぱり人は、心ですよね。
Q5
汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)
バブルがはじけた時はとても辛かったです。これは現在の会社の前、共同経営だったときの話ですが、資金繰りをしていたのは私だったので……。半分ノイローゼで、辛くて本当に逃げ出したかったです。資金が底をつき「いつ潰れるか、いつ潰れるか」と毎日不安でした。でもその時、私を支えてくれたのは 2 人の娘の寝顔でした。その寝顔を見て「逃げられない」と思ったんです。子どものためにも何とかしなきゃならないと思いました。当時 30 代でしたが、娘たちのおかげで乗り越えることができたと思います。
Q6
経営危機をどのように乗り越えましたか
共同経営していた会社では、借金が3億円近くあり、私が独立する2011年で2億5000万円は残っていました。それを友人と 2 人で分けて独立起業しましたから、生活費はかなり節約しましたが、約 8 年でその借金を返済しました。また、今の会社での危機といえば、やはり 2020 年からのコロナ禍です。ジュエリーは生活に直結しないため、景気が悪くなるとすぐに影響されます。今も完全には戻っていません。4 月には売上が通常の 1/3 になり、5 月、6 月はほぼゼロになってしまいました。日本政策金融公庫から借りられるだけのお金を借りて、「覚悟と信念と根性」で自分を奮い立たせました。そしてコロナ禍で 3 つのブランドを立ち上げ、経営の仕方を変えたんです。社員には「これだけ借金はあるが、皆の給料は落とさないから」と宣言し、現在も踏ん張っています。今はそれでも、売上の 8 割くらいには回復してきました。来年には黒字化するため一生懸命動いています。
Q7
社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い
社員は家族だと思っていますし、感謝しかないです。現在、社員は 20 代~50 代まで 30 人ほどいますが、そのご家族を含めると 100 人くらいになります。その 100 人で船に乗っていると思っていますし「絶対に守る」と決めています。
Q8
リーダーシップのスタイル
「信念を曲げずに一点突破する」ということですね。社長の心が揺らいだら「この人大丈夫?」と不安になってしまいますよね。だから日替わり弁当のようなことはしない。揺るがない意思をもつ事こそが、リーダーだと考えています。
Q9
事業を通して実現したい夢
まず1つは、「山梨県甲府市のジュエリーを世界に発信していきたい」ということ。今は「甲府から日本へ、日本から世界へ」をキャッチコピーとして動いています。甲府のジュエリーをブランド化して、どんどん発信していきたいと考えています。2 つ目は、「腕のいい職人さん、デザイナーさんを残す・育てる」ということ。そのために、今年 4 月から一般社団法人を立ち上げました。特に「本当に技術のある」日本の職人さんが減っているので、職人を育てて次世代に残す活動に力を入れています。
Q10
夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり
なぜか人に好かれる、ということかな(笑)。あとは、熱意ですかね。今、40 代~70 代の方がバブル絶頂期に買ったジュエリーがたくさん残っています。しかしデザインが古い。そういったジュエリーは新しく買うより、持っているものを作り直した方がいいと考える人が増えています。このリフォーム市場が、コロナ禍で 500 億円から 1000 億円にも達するのではといわれているんです。リノベーションジュエリーのオーダーを増やし、職人さんに仕事が渡せるようなプラットフォームを実現したいです。
Q11
社会貢献、地域貢献、SDGs に関して実行していること
まさに、今私がやっていることです。甲府のジュエリーを世界にもっていけば、認知が上がり流通が拡大します。認知されると「今治タオル」のようにニーズが拡大し地域貢献になります。また、職人さん・デザイナーさんを残す、育てる、増やすこともSDGs に繋がる行動だと考えています。
Q12
自社の強み、面白い制度
オリジナルデザインの開発力が自社の強みだと考えています。美的感覚、見た目に美しいジュエリーを生み出せるところです。そういう職人さんやデザイナーさんがいるということが強みですね。
Q13
若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ
「諦めないでチャレンジしてほしい」ということを言いたいですね。最後まで諦めなければ、あと一歩のところで夢の扉が開くかもしれない。最近すぐに諦めてしまう人が増えている気がするので、そこを伝えたいですね。これは、自分の娘たちにも知らず知らずのうちに伝えていたことかもしれません。
Q14
家族へのメッセージ
私は仕事が忙しく、特に妻には「放っておきっぱなしで、申し訳ない」と思っています。ただ、そんな私を理解してくれている妻や子どもたちに、本当に心から感謝しています。
COMPANY PROFILE
- 社名
- 株式会社 B.L.S
- 設立
- 2011 年
- 社長就任
- 創業社長(2011 年)
- 業種
- ジュエリー、貴金属製造卸、小売業
- 事業内容
- ジュエリーのデザイン、プロデュース
- 提供価値
- ジュエリー業界に新たなプラットフォームを創造する
- 本社
- 山梨県
- 拠点活動
- 山梨県甲府市国母8-12-30
- 活動エリア
- 東京 全国
- 社員数
- 30 名
- 採用情報
- 現在採用は一旦止めてます。