PROFILE
企業名
株式会社タチバナ産業
お名前
野原 将彦
生年月日
1967.08.15
出身校
高校:慶応義塾高校 大学:慶応義塾大学
部活、特技
レギュレーションテニスクラブ
趣味
旅行、アウトドア、家庭菜園、食べ歩き
CEO STORY
Q1
A. あなたをよく知る人物(家族・従業員・友人など)に紹介してもらってください。(他己紹介)
どの社長も多かれ少なかれ持っているアクティブさ、ポジティブさ。それが頭2つ、3つ抜きん出ています。彼はパッケージメーカーを経営していますが、そのメイン商品は段ボールです。送る中身は小さなお菓子から巨大な自動車部品まで様々です。環境に優しい素材で品物もそれを送る人の思いも温かく包み込みながら相手先に届けるお手伝いをしています。物流業界は競争も激しく、お客様も多種多様で苦労も多いはずですが一切弱音を吐きません。普通の人だと心が折れる場面でも本人はそう思う事なく、ドンドン前へ進みます。そして仕事も忙しいですが 家事も子育てもなかなかのクオリティーでこなします。ボーイスカウトの経験も長いのでサバイバル能力が高く、無人島では最後まで生き残れそうです。例えば料理。食事を作るだけでなく その食材として使う、じゃがいもや玉ねぎ、とうもろこしをはじめ、約20種類の野菜も何十年も作り続けています。日照りが続く時の草むしりはやった事のある人なら分かりますが、相当大変です。でも楽しそうに黙々とやるので凄いです。あちこちに興味が向き、どこへでも出掛けるので移動距離が半端ないです。 年間5万Km移動します。かなりの人がこのアクティブさポジティブさに絶句します。
Q2
B. 上記であなたを紹介してくれた方はどのような存在ですか (350文字以上 推奨)
結婚30年迎え、「真珠婚式」を一緒に迎える妻です。妻は小中学校の同級生でもあるので、同窓会には二人揃って参加しています。笑 彼女は自分も仕事をしながら2人の子供を立派に育て上げた良妻賢母プラスの逸材です。私も含めて子供たちの心の支えである彼女は、縁の下の力持ち的存在です。
社長という仕事柄毎日帰りが遅くなるのですが、いつも起きて私の帰宅を待っていてくれます。疲れて帰った時に、妻が暖かく迎えてくれるほど嬉しいことはありません。よく、社長は孤独だと言いますが、私は妻のお陰で経営者の孤独を一度も感じたことはありません。当社の紅茶イベントでも活躍してくれる彼女は、心強い私の盟友でもあります。子供たちも社会人となった今、妻と2人、国内、海外に機会があるごとに旅行に出かけて楽しんでいます。
Q3
C. 事業内容を詳しく教えてください
当社は、50年以上に渡り、法人向けの段ボール製造をコアビジネスとして営業してきました。現在は、主力の段ボール製造の他に、プラスチック段ボール(プラダン)の製造、食品の物流加工、そして皆さん驚かれるのですが、紅茶関連事業にも力を入れています。
この「段ボール」と「紅茶」という事業内容の組み合わせは、業界でも例を見ない異色の組み合わせです。もともとティーバッグの生産をしていた会社を買収しティーバッグの製品加工だけを行っていましたが、徐々に事業を拡大し、今では自社ブランド紅茶「TEA MOTIVATION」や「TEA NAVIGATION」のプロデュースもしています。日本紅茶協会にも所属し、紅茶の試飲販売、紅茶教室、紅茶関連イベントを開催し、日本での紅茶文化の普及を目指しています。
Q4
D. どんな学生でしたか
好奇心旺盛な私は、子供の頃から学校での勉強以外にもいろいろなことに挑戦してきました。この体験が、段ボールの製造会社であった当社を、私の代で多角的に事業を展開する企業に変革できた理由だと思っています。
子供の頃からボーイスカウト活動に参加し、大学生になると後進の指導に当たりました。部活は、小学校は卓球部、中学校は剣道部、高校はバスケ部、大学ではテニスサークルに所属していました。祖父に連れられて釣りに行ってからは釣りにはまり、学生時代のバイブルは、「釣りキチ三平」でした。スポーツ以外にもバイオリンも習っていました。何にでも興味を持つ私は、熱帯魚や昆虫の飼育、観葉植物なども育てていました。私の飼う生き物や植物が並ぶベランダで、母がよく「洗濯物を干すのに邪魔だ」と言っていたのを覚えています。
Q5
E. 学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください
慶応義塾高校から慶應義塾大学経済学部に進学し、経済学の大家である福岡ゼミ(専門は理論経済学)に所属しました。卒業した年はバブルの全盛期の90年で、当時の学生はこぞって金融業界への就職を目指しました。私自身も海外勤務に憧れ、第一勧業銀行(現みずほ銀行)に入行し、丸之内支店を皮切りに、市場金融部(デリバティブ)、六本木支店(外資系担当)での勤務を経験しました。そんなある日、父が高級寿司店に私を誘ったのです。「珍しいな」と思いつつも寿司につられて出かけたところ、寿司を食べ終わるころには家業を継ぐ話になっていました。父にしてやられたというところですが、そんなこんなで銀行は7年務めて退職し、父が創業した(株)タチバナ産業に入社しました。その後、営業課長、営業本部長、専務取締役を経て、父の跡を継ぎ代表取締役に就任したのです。
Q6
F. 最近感情が動いたエピソード
最近、感動した出来事が2つあります。1つは、私の誕生日に子供たち2人が六本木ヒルズのレストランでお祝いをしてくれたことです。手のかかる姉弟で、娘の方は甘やかして育て、息子は今年成人したばかりです。まさか2人でこんなサプライズを贈ってくれるとは思いもしませんでした。お祝いの席にプレゼントまで準備してという粋な計らいに、すっかり大人になったのだと感じました。
2つ目は、山田洋二監督の「こんにちは母さん」を妻と観に行ったことです。エリート社員の大泉洋が下町に住む母親役の吉永小百合と演じる銀幕の中の人間模様に不覚にも涙しました。この映画は試写会ですでに見ていたのですが、この感動を分かち合いたいと思い妻を誘ったのです。同じ映画なのに、妻と劇場で一緒に見た時のほうが泣けました。
Q7
G. 汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)
経営における最大の危機は、人的原因、物的要因によるものをこれ迄に2度経験しました。
古株の本社工場長が急死した時は、社員全員が深い悲しみに暮れ、工場は大騒ぎでした。メーカーの心臓部が工場であるなら、それを動かしているブレーンが彼だったのです。社員のシフト、生産工程管理など工場を動かす全ての情報が工場長の頭の中にあったのです。大混乱の中でも、注文は次々に入ってきます。この時は、毎日が綱渡りをしている気持ちでした。
最近の2度に渡る段ボールの主原料の値上がりも、大きな打撃でした。これまでにも原料費の値上げはありましたが、今回のように年に2度ともなると異常事態です。段ボール業界は価格競争が激しく、僅かな原料の値上がりが経営の命取りとなります。約500近い得意先に、どのように話を持っていけば良いのか。私は、毎日途方にくれていました。
Q8
H. 経営危機をどのように乗り越えましたか
本社工場長の突然の不幸による生産現場の混乱は、工場勤務の従業員が一致団結して力を合わせて工場長のノウハウを再現し、従業員の役割分担を新たにすることで収束することができました。この一件で、1人の優秀な人材だけに頼るリスクを身をもって知りました。この出来事の後、各部署のスタッフの多能化に取り組み、担当者の急な休みやトラブルに強い組織作りに努めました。
主原料の度重なる値上がりによる当社製品の値上げの際には、営業スタッフ全員が顧客の一社一社に丁寧に説明とお願いを繰り返し、結果的に全ての顧客から理解を頂くことができました。最初の値上げ交渉が終わったと思ったら、直ぐに2度目の交渉を余儀なくされ、1年のうちの10か月を取引先との交渉に費やしたことになります。彼らの苦労には頭の下がる思いです。
Q9
I. 社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い
当社は、とても家族的な会社で、社員旅行もレクリエーションも社員が家族ぐるみで参加しています。私も、子供の頃父に連れられ会社のレクリエーションによく参加していました。社員旅行で訪れた香川県の金毘羅山、横浜中華街の食べ歩き、那須のペンション、茨城の那珂湊のあんこう鍋や寿司の食べ放題などは今でも良い思い出です。また、ボーリング大会やバーベキュー大会、スキーもレクリエーション行事として行っています。社員旅行やレクリエーションでは、会社では見ることができない社員の一面を見たり、社員の本音を聞いたりと良い機会となっています。この社員同士の交流が信頼関係を築く礎となり、社内の縦横の関係を強化します。お互いをよく知る機会を持つことで、社員が一丸となって問題解決に取り組む企業の底力が生まれるのです。
Q10
J. リーダーシップのスタイル
会社の経営には、バランスの取れたリーダーシップが重要だと考えています。社長が全てを決めて社員を引っ張るのではなく、社員一人一人が責任を持って仕事をし、それを各チームのリーダーがまとめていることが、組織の強化に繋がります。社長は、組織が機能している場合には静観し、問題に直面すれば適切な助言や支援を与え、社員をあるべき姿や目標に導くことが理想の姿です。
とは言うものの、私はもともと好奇心が強く、次から次にアイデアが浮かんでしまうので、ついついいろいろと口を出してしまいます。父の猛反対を押してティーバック工場を買収したのも、段ボールを使った御札立て・簡易神棚、「オフダナ」のような便利グッズの製造販売を始めたのも私です。あまり自分が手を出してもいけないのですが、その兼ね合いが難しいですね。
Q11
K. 事業を通して実現したい夢
2つあります。究極のエコ資材である段ボールの良さを多くの人に知ってもらうことと、日本の紅茶ブランドを確立することです。
段ボールは、リサイクル資材であり環境に優しく応用範囲も広い素材です。また、小ロットや短納期での製造、オーダーメイドも容易な上、低コストという強みがあります。
紅茶事業に託す私の夢は、日本のブランド紅茶の世界的デビューです。海外の紅茶ブランドの知名度の高さに比べ、名の知れた日本の紅茶ブランドが未だにないことが非常に残念です。現在、その夢をかなえるために、国内では個人顧客向けオリジナル・ブランド商品開発部門であるアプリコットシステムで販路拡大を目指す一方で、海外では自社紅茶の販売をシンガポールとカンボジアで始めました。
Q12
L. 夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり
私の強みは、何でもやってみようという旺盛なチャレンジ精神です。
紅茶関連事業に関しては、得意先からの受注だけでは、段ボール製造と同じで受注量が収益を左右し、工賃も先方の言い値になりがちなため、我々で値段を決定できる自社ブランド製品の製造販売を思いつきました。すると、これまでBtoBの経験しかなかった社員から、「在庫」や「クレーム対応」という個人客を相手にすることへの不安の声が上がりました。
しかし、この変化の速い時代に、待ちの事業だけでは会社は生き残れません。自力で採算をとる攻めの手段も必要です。OEM事業で稼働率を上げ、自社ブランドの開発、販売で収入を得る道を作っておく。その中で、日本ブランドの紅茶で世界に打って出る大きな挑戦もする。何歳になっても尽きることのないチャレンジ精神こそが、私の強みだと自負しています。
Q13
M. 社会貢献、地域貢献、SDGsに関して実行していること
東日本大震災後の東北地方の復興支援の一環として楽天イーグルスのオフィシャルスポンサーをしています。楽天イーグルスのロゴ入り段ボール製非常用ベッドやトイレの製造、楽天モバイルパーク宮城では、ホームゲームの日に、イーグルスのロゴ入り自社製紅茶の試飲販売も行っています。コロナ禍の際には、私たちにできる社会貢献を考え、段ボール製パーテーション「マドワクダナ」と自社製紅茶を医療機関に寄贈しました。この「マドワクダナ」は、アクリル製の間仕切りよりも手軽で安価なこともあり注文が殺到。休日やGWを返上し生産にあたりました。防災用段ボールグッズを多く展開している当社は、工場とロジスティックセンターがある埼玉県春日井市の他、東京都の墨田区、文京区と災害時の協力体制を確立し、地域の皆様の災害支援に備えています。
Q14
N. 自社の強み、面白い制度
段ボール製造の他にも、プラスチック製段ボール(プラダン)の生産も手掛けています。段ボールとプラダンの両方を設計から製造までできる会社は、関東では当社くらいではないでしょうか。段ボールとプラダンを扱っているので、営業担当は、顧客の物流形態に合わせた提案をすることができます。お客様からは「プラダンにしたら、段ボールが減って助かったわ」と感謝の言葉を頂くこともあり、嬉しいような嬉しくないような。それでも、お客様に喜んで頂いた上、環境的にも経済的にも貢献した訳ですから、結果的には大きな達成感を感じました。
最大の強みは、工場が食の安全の国際認証であるFSSC22000を取得していることです。段ボール製品への食品の物流加工(パッケージング)も自社で完結できるので、シナジー効果も絶大です。
Q15
O. 若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ
若いうちに、仕事でも趣味でも恋愛でも、何にでも積極的にチャレンジして欲しいと思っています。若いうちは、失敗しても十分にやり直しがきくし、背負っている物も少ないので、思い切った挑戦が出来るからです。誰かから助言を受ける場合には、注意してください。アドバイスは、挑戦したことのない先輩からは受けない方が無難です。人生で、何かに挑戦をしたことが無い人に相談しても、「無理」だとか「無駄」とか言われて終わりです。前向きなアドバイスがもらえるどころか、前向きに進む気持ちも萎えてしまいます。先ずは、尊敬できる魅力的な先輩をみつけることから始め、頼れる先輩がみつかったら積極的に相談し、思い切って前進してみてください。自分の世界は、広げようと思えばいくらでも広げることができるのです。
Q16
P. 家族へのメッセージ
平日ほとんど家にいない分、週末は家族の時間を大切にしてきました。経営者仲間には、「野原さんは、土日にゴルフに誘っても絶対来ない」と、諦められる始末。それでも、私の両親がそうであったように、私も子供たちと多くの体験や喜びを共有することを大切にしてきました。娘とは水上スキーを、息子とはアメリカンフットボールや競技スキーを一緒に楽しみ、子供たちには勉強だけでなく、スポーツを通して心身を鍛える大切さを教えました。その子供たちは、勉強と部活を見事に両立し、2人とも第1希望の企業に就職を果たしました。
子供たちを立派に育ててくれた妻には、感謝の言葉もありません。そして、もう1人の家族、2歳になったトイプードルのシェル。疲れて帰宅する私に、いつも嬉しそうに尻尾を振って飛びついてくれてありがとう!