PROFILE
企業名
株式会社サラダボウル
お名前
田中 進
生年月日
1972年2月3日
出身地(都道府県)
山梨県
出身校
横浜国立大学
自分の名前の由来
まっすぐ進むように。
キャッチコピー
農業界の地域づくりマイスター
夢
農業の新しいカタチを創る
社名の由来
アメリカのメジャーリーグ(野球)のロスアンジェルス・エンジェルスの経営幹部から、MLB球団の魅力は「Salad bowl」みたいなものだと直接伺ったことから。
人生成分6つのキーワード
家族、会社、仕事、趣味、海外
部活、特技
サッカー、スキー、ゴルフ
趣味
料理
好きな映画
(たくさん観ますが)特になし
人生のバイブル
たくさんの本(これといったものはなし)
ゲンかつぎアイテム
ゲンを担がない
パワー飯
その土地のごはんとお酒
底力の源
自然体
好きなファッションブランド
出張先の地域のブランド
生まれ変わったら何になりたい
今と同じ
休みの日の過ごし方
サッカー、スキー、ゴルフ、スポーツ観戦、料理
CEO STORY
Q1
どんな学生でしたか
トマト農家の次男で、ごく普通の田舎の高校生でした。漠然とですが、東京に行けば夢が叶い成功できると思い、大学に入ることを目標に勉強していましたね。大学時代は大学生らしい生活で、テニスサークルやアルバイトに励み、毎日お酒を飲んで真剣にテニスをして、真剣に遊んでいました。実家は農家ですが、農業を仕事にするつもりはなく、それとは関係ない学部(経営学部)に進みました。当時、農家は恥ずかしいと思っていたのです。
Q2
学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください
新卒で三菱UFJ銀行に就職し、3年目までは支店に勤務。4年目からバブル経済崩壊の後で、専務直轄の新規開拓のプロジェクトチームに配属されました。働くうちに、良い面もそうではない面も見えてきました。銀行は、社会的役割は果たしているけれど、主語は常に「銀行」なんです。そこにお客様は存在していないのです。そこで疑問を感じ、5年勤務したあとプルデンシャル生命保険に転職しました。ここは、外資系でフルコミッション(完全歩合制)でしたが、やりたいことができそうと感じました。保険会社では、経営者の課題や改善策をアドバイスする右腕的存在になり、最終的に保険に加入いただくという業務を行いました。銀行員時代もお客様の多くは経営者だったので、保険会社ではさらに寄り添い、企業の成長支援ができることを実感していました。こうして多くの経営者と出会ううちに、自分も経営者になりたい、起業したいという想いが強くなり、折角やるなら子どものころから間近で見てきた農業だと思ったんです。「自分には、農業しかない!」と農業での起業を決意し退職しました。
Q3
最近感情が動いたエピソード
あまりないですね。仕事面でもプライベートでも。日頃からいろいろなことが起こり楽しく暮らしていますけど。年とったからかな。笑 経営者はオンオフの区別がない人が多いから、感情の波が少ないのかもしれないです。これまで生きてきた中で今があるわけですよね。だから「粛々(しゅくしゅく)と」生きるだけなのかなと思っています。
Q4
汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)
立ち上げから3~4年目が、一番大変でした。成長というより膨張していました。そもそも農業経験がない中でのスタート(家業の事業承継ではない)です。そして起業した2004年は、農業法人が認められて間もない時期でした。当時増えてきた耕作放棄地を買い取り、開墾して野菜を作ることから始めました。しかし、生産技術力や経営力のないまま、次々と放棄地を受け入れてしまったため、農地が増えるたびに単位面積当たりの売上高は下がり、経営危機になりました。
Q5
経営危機をどのように乗り越えましたか
当時を振り返ると、後付けで何とか乗り切った感じです。誰が見ても、大変な経営だったと思います。経営改善のため事業の整理を行いました。そして「やること」「やらないこと」を明確にしました。このとき「やること」より「やらないこと」は何かを考えました。経営者は「やること」を考えると思われがちですが、「やらないこと」を考えるのも大切だと思います。当時は、農業ブームもあって、色々とやり過ぎていることに気が付いたのです。作物の種類を大幅に絞り込み、手を付け始めた飲食事業や野菜の加工事業は一旦中止しました。トマトとレタスの生産をメインにして、経営が落ち着いてから次へのステップを考え、プラスアルファで他の生産も扱っています。今は昔よりも会社らしくなり、的確な判断ができるようになりました。
Q6
社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い
1年程前のデータですが、従業員71名・パート従業員400名が働いています(グループ全体)。社員にはそれぞれの人生があります。その中でも、「仕事に関わる時間」は多くなるため、「サラダボウル」での時間も幸せであってほしいです。一緒の時間を過ごすので、仕事に対する価値観は一緒でないとストレスが溜まるかもしれません。しかし、成長したい人もいれば、心地良くいられたらいいという人もいますので、それぞれの個性を大切にしたいと考えています。会社を一艘の船に例えたら、色々な人を乗せながら、同じところに進んで行く感覚でしょうか。農学部卒は多いけれど、他学部卒の人もいます。最近は中途採用も多く、元銀行員や商社マン、大手企業出身の人も多いです。また、役職定年をした方も、積極的に受け入れています。素晴らしいキャリアを持った方々が入社してくれるようになりましたね。
Q7
リーダーシップのスタイル
どちらかというと、ビジョナリー(先見性、未来志向を実現化すること)な方です。また、基本は引っ張っていくタイプですが、社員がキャリアを重ねていくうちに任せられる段階になりました。ですので、私は一歩引いて見守り、先を見据えた経営を考えています。マネジメントやキャリアを大切にしているのは、一般の会社と変わりありません。先程他業界出身社員が多いと言いましたが、私も、彼らの能力には良い影響を受けていますね。
Q8
事業を通して実現したい夢
元々ミッションとして、「農業の新しいカタチを創る」があるので、それを叶えるのが夢です。時代はどんどん変わる中で、私たち自身が作った新しいカタチをさらに、変化させていく。そんな上書きをしていきたいです。例えば、立ち上げ当初、経営につまずいて事業の見直しをしました。その中に、労働環境の見直しがありましたが、一日十数時間働かなければならない状況から、週休二日制の定時で終わるように変化させています。
Q9
夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり
分からないですね。思い描いたことを推進していく姿勢はあると思います。とはいえ、ビジョンをそんなに多く持っているわけではありません。ただ、それを続けていく力はあると思っています。また、働き方もその時々に応じて、変えていきます。今までの農業ではやらなかった「新しいもの」を、次々示していくようにしています。
Q10
社会貢献、地域貢献、SDGsに関して実行していること
特にないですね。判断するのは社会全体ですから。そして、私が好きで始めた事業ですし、このわがままに付き合って、賛同してくれる仲間がいるので成り立っているだけです。でも、「サラダボウルがあって良かった」と言われると救われます。私たちが作ったものが、誰かが「買っている・買い続けている、喜んでくれている」。この流れが社会を構成していて、事業を続けていることが社会の一部を作っているのだと思います。
Q11
自社の強み、面白い制度
強みは「人」です。多くの社員に支えられています。面白い制度としては、「オープンポジション制度」というものがあります。これは、新しく農場をオープンする際、若手もベテランも含めた全社員から、空いているポジションに関わりたい人を公募する制度です。審査はありますが、一定の条件を満たすと採用されます。兵庫県や山梨県、そしてベトナムなどに生産拠点があります。2023年は、既存の農場を大切にしながら、福島県や静岡県、山口県にも拠点を増やしていく予定です。
Q12
若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ
就職活動中の大学生へ。社会に出て働くのは、そんなに辛いことではありません。面白いですよ。今は、地球は「小さく・近く」なり、時間も空間も取り除かれる時代になりました。枠や規制・制限から外れて、自分の意志でチャレンジできます。チャンスに恵まれています。私が大学生のときは、社会人になることにワクワクしていました。不安が先走る人もいるかもしれませんが、ぜひ頑張ってほしいです。
Q13
家族へのメッセージ
起業を決めたとき、「どうせ言っても聞かないから」と応援・支援してくれた父。今はサラダボウルの会長職に就いて、何かと気にかけてくれています。ありがとう。起業するとき、結婚して2人の娘がいた私。「どうせ言っても聞かないし。迷惑かけないなら、好きにやっていいよ。頑張ってね」と言ってくれた妻。起業当時、次女は幼かったけれど、いまでは長女24歳、次女21歳になりました。大学のサークルのときからの付き合いですが、いつも自由にさせてくれてありがとう。
COMPANY PROFILE
- 社名
- 株式会社サラダボウル
- 設立
- 2004年4月1日
- 社長就任
- 2004年4月1日(創業日)
- 業種
- 農業
- 事業内容
- 農業経営
- 提供価値
- 農業の新しいカタチを創る
- 本社
- 山梨県
- 活動エリア
- 山梨、岩手、福島、埼玉、静岡、兵庫、山口、福岡