PROFILE
企業名
SUNSHOW GROUP
お名前
西岡 徹人
生年月日
1979年1月17日
出身地(都道府県)
岐阜県
出身校
岐南工業高等学校
あだ名
西ゴリ
自分の名前の由来
大阪 住吉大社にて、自分に厳しく人には寛大に、最後まで貫き通す
キャッチコピー
コツコツがコツ
夢
社会課題解決 団体、企業、人100名
社名の由来
迅速に対応、安全に施工、確実に完了
部活、特技
ラグビー、ジョギング、名言収集
趣味
ゴルフ
尊敬する人
ジェームズ・アレン
好きな映画
グラディエーター
人生のバイブル
幸せの心理学
テーマカラー
青
ゲンかつぎアイテム
火打石
パワー飯
鳥
好きなお菓子
タンパク質チョコ
底力の源
強迫観念
カラオケ十八番
サザンオールスターズ 「蛍」
苦しいとき励みになった経営のテーマソング
栄光の懸橋
自分を動物に例えると
ゴリラ
好きなファッションブランド
ユニクロ
子どもの頃の夢
ボクシング選手
生まれ変わったら何になりたい
自分
休みの日の過ごし方
休日なし
ALBUM
CEO STORY
Q1
あなたを良く知る人物に紹介してもらってください(他己紹介)
◎三承工業の広報担当の社員の方からのメッセージ
↓
紆余曲折の人生経験が根底にあるからか、固定概念にとらわれない発想で、多様な視点を持ち、アイデア力(悪知恵)が高い人です。また勉強家で努力家。何事も1つのことをやると決めたら熱意をもってコツコツと積み重ねるため、人脈が広くフットワークが軽いです。人脈は行政から民間企業、教育者、専門家など多岐にわたるため、プライベートな相談事も集まりやすいのかと思います。そして子供が好きですね、激甘です。おもちゃを買ってくれるのでどんどん増えていき、社員よりも子供の方が待遇が良いのではと思うくらいです。笑 根本は人の幸せを応援するという思いを貫いている人。気遣い力が高く、家族の心配までしてくださり、細かいことでも変化に気付いてくれます。
Q2
どんな学生でしたか
家が母子家庭で貧しかったため、高校時代はずっとアルバイトをしていました。部活はラグビー部に所属し、その練習もあって遊ぶ暇はありませんでした。睡眠は学校の授業中にとっていましたね。ラグビーでは岐阜県選抜に選ばれ、大学からの推薦もいただいていたのですが母親から「大学なんて行かずに働け!」と言われ卒業後は就職することになりました。あとから聞いた話では、どうやら母親が就職先の会社の社長から借金をしていたそうで、僕の入社と引き換えにそれが帳消しになるという話でまとまっていたらしいです。笑 普段はどちらかというと冷静に俯瞰で周囲を観察しているタイプでしたが、スイッチが入ると集中してとことんのめり込む、そんな性格だったと思います。忙しい毎日でしたが、さらにハードコアバンドも始めます。チケット販売でお金を稼げるというのが理由でした。担当楽器はドラム。人脈をいかして集客ができ、全国をあちこち巡っていました。岐阜県内で一番集客できるバンドとなり、一時はチケットの収入で生活が賄えるまでになっていましたね。
Q3
学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください
高校卒業後、母親に言われるがまま、僕を含めた合計3名で地元の建設会社へ就職します。入社後会社から突然「3人もいらないから1人出向させる。じゃんけんして」と言われ素直にじゃんけんした結果、僕が出向することになりました。出向先は土木会社でした。その土木会社には1年半ほど出向していましたが、重機の取り扱いなど実践的なことを色々教わることができ充実していました。昼間は土木会社で働き、夜は空いた時間を利用して「ネットワークビジネス」をスタート。バンド活動で活用していた人脈をここでも活かし、順調に売上を伸ばしていきました。この「バンド活動」と「ネットワークビジネス」の成功を通して自分の営業センスに自信を持ちました。ちなみに当時稼いだお金はすべて母親に渡していました。しかし、そんなに高い給料ではありません。「もっとお金を稼ぎたい」そんな一心で20歳のころ独立を決意します。最初は河原の草刈りを請負う仕事から始めました。とにかく人一倍働きました。その姿を認めていただき、紆余曲折ありながらもヘルメットと長靴だけでなんとか存続できました。そのころは男社会で「気合いと根性とノリ」だけでやっていましたね。笑 そして32歳のころ「SUNSHOW夢ハウス」がヒットし、現在に繋がっています。
Q4
最近感情が動いたエピソード
年間100回以上の講演会を開催していますが、ご来場されたお客様からいただくお声やアンケートにはいつも心が震えます。ブラック企業だったわが社が、国連認定企業になるまでのプロセス。その中心となる女性活躍の話を聴いて涙してくださるお客様もいらっしゃいます。その他いつも沢山のお声をいただけてとても感謝しています。それ以外にも社員の成長する姿を見られたときは感動します。講演会でも自分が評価されるより社員が評価される方が嬉しいです。自分の成長は自分が頑張れば良いだけですが、他人の成長はその人に頑張る意志がなければ始まりません。僕のミッションは自分よりできる人間を生み出すことでもあると思っています。僕との関りの中でその人が頑張って成長し、結果として僕を超えてくれたときは感無量です。『人にやさしく、自分に厳しく』それが僕の信条です。
Q5
汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)
東日本大震災があった2011年、社員の半分に相当する20名が一度に辞めたことがありました。理由は、僕に嫌気が差したというものでした。当時は社員をコマのように扱い、休みもなく朝から晩まで働かせ、気付けば離職率は53%になっていました。その後、社内でアンケートを行ったのですが、結果は最悪。ある研修の講師から「西岡さんは“北風と太陽”だったら“北風”ですよ」と言われました。僕は「太陽」とばかり思っていたので、かなりショックを受けました。さらに追い打ちをかけるように脳梗塞を発症してしまいます。しかし、そんな危機的な状況でもあったので1か月ほどで仕事復帰しました。これらの出来事やアンケートで現状把握できたことがきっかけとなり社内改革を決意します。
Q6
経営危機をどのように乗り越えましたか
最初は自分一人でトイレ掃除をするなど率先垂範で風土改革に取り組んでいきました。社員からは「そろそろ会社が潰れるのではないか?」とか「社長、変な宗教にハマったのではないか?」などと心配されましたし、結果も出ませんでした。アンケートで悪い結果が出て、脳梗塞にもなり、これは自分一人の力ではどうにもならないと悟りました。そこで当時全社員の中で2名だけだった女性従業員の「寺田」に助けを求めることにしました。まずは「ありがとう」と感謝の言葉を伝えることから始まり、それから「チーム夢子」というプロジェクトを立ち上げ、女性活躍の環境整備やノー残業デーの策定、トイレの分離、キッズルームの整備などみるみる状況が変わっていきました。この功績が岐阜県や岐阜市から評価され、全国で講演を行うようになります。さらに国からも表彰されるなど、どんどん良い方向へ動き始めると、以前53%だった離職率は2022年において1.6%まで大幅に改善しました。
Q7
社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い
名物社員は沢山います。特にSDGs担当の「神田」は外務省や環境省など政府機関とのやり取りをすべて担い、外部とのパイプ役として三承工業における「SDGsの顔」ともいうべき人材です。このように、うちの会社では全ての社員に「ドメイン」という形で役割を持たせています。「女性活躍といえば」「TikTokといえば」などそれぞれの専門分野を決めています。そうすると自分のポジションが明確になり動きやすくなります。同時に、プレッシャーにもなるのでそれが成長につながります。僕にとって社員は「原石」。こちらから「ドメイン」というきっかけを与えることで、その人自身が主体性をもって考え行動する。そして自らを磨き輝いていくのです。
Q8
リーダーシップのスタイル
「とにかく任せる」が僕のスタイルです。なるべく手出ししないよう心掛けています。やり始めた仕事は自分の力で最後までやり遂げて欲しいと思っています。しかし、つい甘くなり手を出し過ぎて反省することもあります。アドバイスをするときに意識するのは「気づきを与える」ことです。あらゆる角度から色々な質問を投げかけ、気づきのスキルが上がるようアプローチしています。
Q9
事業を通して実現したい夢
1, 社会の課題を解決できる人材を100人輩出する
2, 社会の課題を解決するための団体を100個つくる
この2つが実現したい夢です。今も社会の課題を解決するための一般社団法人を数個立ち上げていますが、同様にそれぞれの課題に対応した団体を設立し、その数を100個にしたいと思っています。社会の課題については、政策を読み解きながら政府機関や大臣、内閣官房審議官などと連携し、得られる一次情報から抽出、ビジネス化していきます。いわばそれが僕の仕事でもあるので、その一次情報を得るために団体を作っているという側面もあります。
Q10
夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり
我が社は、講演などで構築された全国のネットワークと政府機関との仕事で構築されたネットワークがあります。全国という「面」のネットワークと政府機関という「縦」のネットワークで、縦横無尽に対応できる人材が社内にも全国にもいるということが強みであり、武器であると考えています。僕は、自分がいつ死んでも良いようにしておくというのが仕事をする上でのモットーであり、こだわりです。自分が倒れても別の誰かにすぐバトンを渡せる状態を常に意識して人材育成をしています。人材育成以外にも人脈や人の紹介・マッチングなど僕自身が持つネットワークと社員をつなげ、さらに強固なネットワークにしていきたいですね。
Q11
社会貢献、地域貢献、SDGsに関して実行していること
実行していることがありすぎてすべてを挙げるのは難しいですが、一つ挙げるとすれば「カンガルー出勤」制度を最近始めました。これはお子さんを連れて職場に出社できる子連れ出勤の制度で、SDGs「5.ジェンダー平等を実現しよう」の取り組みです。まだ始めたばかりですが、全国一万人署名も実施しており、今後社会へ根付かせていきたいです。SDGsについては「カンガルー出勤」以外にも「SUNSHOW夢ハウス」という780万円の住宅提供や外国籍の人への住宅提供、自社のみならずパートナーシップ企業と一緒に取り組むカーボンニュートラルなど、これら全てがSDGsの形であることを皆さんに示し情報提供しています。また社会の課題をビジネスで解決できることが、持続可能でより良い世界につながるのだということを理解してもらうため、全国で講演を行っています。
Q12
自社の強み、面白い制度
自社の一番の強みは、社会的少数者(弱者)へ住宅を安く提供することです。面白い制度はやはり「カンガルー出勤」ですね。わが社ではこの制度がすでに定着していて、僕が赤ちゃんのおむつを替えたりミルクを作ったりすることもあります。最初は「すりきり」という言葉の意味もわからずミルク作りで失敗することもありましたが、少しずつ学習し経験を積むことでできるようになりました。「カンガルー出勤」は元々女性支援で始めた制度ですが、男性にとっても学びとなっています。
Q13
若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ
日本のすべての若者に伝えたいことは「持続可能な社会を作るために社会の課題を皆で解決していきましょう」ということです。自分の子供や孫の世代に今よりもっと良い社会を残してあげましょう。そのために自分で何ができるか考えましょう。もし3秒考えて答えが出ないのであれば動きましょう。色々な人に相談しましょう。人とパートナーシップを組むことで物事は必ず前進します。これが僕から若い人たちへのメッセージであり望むこと、そして共にチャレンジしたいことです。
Q14
家族へのメッセージ
今、身近に家族はいません。母親はすでに他界し、弟妹も疎遠になっています。バブルが弾け父親がいなくなり、大阪から夜逃げして岐阜へやって来ました。当時母親は仕事もなく家を借りるのもままならない状況でした。その後仕事を始めた母親ですが、思うように行かないこともあったのか、時には厳しい言葉を浴びせられることもありました。しかし、この経験が後にカンガルー出勤や女性活躍の各制度につながっています。僕は当時のことをあまり苦とは思っていません。そう感じないのが寧ろ取柄だと思っています。『とにかくやる、必死にやる』ただそれだけでやり続けてきました。今敢えて母親にメッセージを贈るとすれば「こうなったよ」と現状報告をするくらいでしょうか?きっと母は「ふ~ん」って言うだけだと思いますけど。笑
COMPANY PROFILE
- 社名
- SUNSHOW GROUP
- 設立
- 平成18年3月3日
- 社長就任
- 1999年11月11日
- 業種
- 建設業
- 事業内容
- 社会課題解決業、建築工事業、造園工事業、不動産業、コンサルティング業
- 提供価値
- 社会的少数者に対しての住宅提供
- 本社
- 岐阜
- 活動エリア
- 東京、大阪、名古屋、岐阜
- 社員数
- 72名※2023年4月現在