PROFILE
企業名
BSO 株式会社
お名前
吉川 達雄
生年月日
1976 年 6 月 21 日
出身地(都道府県)
愛知
出身校
名城大学附属高等学校
あだ名
タイソン
自分の名前の由来
辰年に生まれた男だからだそうです。
キャッチコピー
日本一の野球バカ
夢
みんなが生涯野球人
社名の由来
野球のスコアボードが SBO から BSO に変わった時に会社を設立したので
人生成分6つのキーワード
野球
部活、特技
硬式野球部
趣味
野球、グルメ
尊敬する人
落合博満
好きな映画
タイタニック
人生のバイブル
稲盛和夫 生き方
テーマカラー
ネイビー
ゲンかつぎアイテム
爽健美茶
パワー飯
激辛ラーメン
好きなお菓子
みりん揚げ
底力の源
信念
カラオケ十八番
シーソーゲーム
苦しいとき励みになった経営のテーマソング
ゆず 栄光の架け橋
自分を動物に例えると
犬
好きなファッションブランド
メンズスタイル
子どもの頃の夢
野球のアナウンサー
生まれ変わったら何になりたい
総理大臣
休みの日の過ごし方
ドラマ鑑賞
CEO STORY
Q1
A. あなたを良く知る人物に紹介してもらってください(他己紹介)
代表の吉川は 20 歳のころから、物事を実体化する着想、アイデアマンとしてズバ抜けた才能を持っていたと思います。そして何より、そのアイデアを実行する決断力・行動力も並外れていて、周囲の仲間を同じ目標に突き動かす求心力があり、リーダーとしての気質を備えていました。当社のアマチュア野球ビジネスという事業性が、一見、成長力として魅力がないように見える方にも、吉川と時間を共にすると、吉川と一緒に行う事業、そして吉川本人の魅力に惹き(ずり)込まれます。吉川は野球のことを誰よりも愛していますし、誰よりも詳しいです。仕事もプライベートも区別なく、野球に携わっています。ここまでの情熱があればこそ、みんなが手を出さない当社のような事業でもやっていけるのだなぁ、とつくづく思います。仕事には厳しい姿勢で臨み、率先垂範で自身が社員を率いています。そんな強い社長のイメージですが、不思議なほど社員には優しく接しています。自分の理想に共鳴する仲間を大事にしてくれてるんだと感じます。吉川の「野球界をもっと楽しく!」という理念、吉川とならきっと実現できると感じさせてくれる、そんな社長です。
Q2
B. 上記であなたを紹介してくれた方はどのような存在ですか
私と同い年で 20 歳からの付き合いです。元々他の会社で取締役をやっていたのですが、2 年前に「B S O にきてくれ!」とヘッドハンティングしました。若い社員が多い会社なので、自分と同じくらいの年齢で右腕的な存在がほしいと思った時に、彼のことが頭に浮かびました。私のやり方や考え方を理解してくれていて、会社のミッションにも共感してくれているので、安心感があります。
Q3
C. 詳しい事業内容を教えてください
私たちの事業は、アマチュア軟式野球に特化したビジネスです。一般から学童までの軟式野球大会を全国47都道府県で開催しています。一般の全国大会では、阪神甲子園球場やMAZDAスタジアムなどのプロ野球でお馴染みの会場を使用しており、参加チームのみならず、主催運営者の我々もワクワクする大会を意識して、参加するみなさんに喜んでいただくことをモットーに大会運営をしています。その他、次世代の甲子園球児やプロ野球選手を目指す小学生や中学生に、プロ野球を経験したOB選手から直接指導を行う野球教室も運営しています。また、プロ野球に限らず、野球界を活性化し、野球人口を増やしたい、そんな思いで、プロ野球OB選手を中心に引退後のキャリアサポートでメディア出演やトークショーなどのイベントも開催しています。
Q4
D. どんな学生でしたか
高校生の時は毎日野球部の練習があったのですが、引退してからはこれまでの反動で遊びまくっていましたね。やりたいことを我慢できない性格なので、興味のあることを片っ端からやりました。大人に憧れて、ちょっとやんちゃをしたことも、笑。大学生になっても、野球は続けていたのですが、毎日飲みに行っていました。ちなみに、小学 3 年生くらいの時には、みんなを集めて 4 年生対 3 年生の野球大会を実施したことがあります。お小遣いでボールを買ったり、グラウンドの整備をしたりして、一から自分で準備したんです。振り返ると、昔からみんなが楽しむことを考えるのが好きだったんだなぁと思います。
Q5
E. 学生時代から社長になるまでの道のり(経歴)を教えてください
大学卒業後はコカコーラに就職しました。ナゴヤドームがちょうどできた年だったのですが、野球経験を買われてドラゴンズ担当に配属。ドラゴンズの選手やコーチの御用聞きや配達などを行いました。球に関われるということで楽しいところもあったのですが、朝から試合終了まで時間が拘束されるので、体力的には結構しんどかったです。9 連戦の時には、ほんと死にそうでした。3 年目「そろそろ次のことをやってみたいな」と考えていたタイミングで、証券仲介会社に勤めていた両親が独立することに。私自身も元々株に興味があったので、事業を手伝うことにしました。簡単にいうと、お客さんに株を紹介するという仕事です。ビジネスで成功した富裕層の方とお話をする機会が多かったので、とても勉強になりました。その時教わった「経営も投資」という考え方は、今も大事にしています。証券仲介業をやって 10 年目くらいの時、草野球に誘われて、久々に野球をやったんです。そしたら面白かったんですよね。そこから草野球にハマって、自分でチームを作って週末に草野球を楽しんでいました。最初の頃、チームがとても弱かったので、チームを強くするために知名度を上げたいと考えました。そのとき「野球の大会をやろう」「あれ?これってうまく仕組みを作れば儲かるんじゃないか」と思ったんです。初めは副業の形でやっていたんですが、証券仲介業の規制が厳しくなったということもあり、大会運営事業で独立することを決断しました。
Q6
F. 最近感情が動いたエピソード
毎年、甲子園で全国大会をやるんですが、参加者の方が涙流して喜んでくれるんですよね。本気で野球をやっていた人たちが高校時代に踏めなかった甲子園のフィールド。「憧れの場所で試合ができた」という喜びの声を聞く度に、「やっててよかったな」と思います。また、4 年前から少年野球チームを始めました。当時、罵声が飛び交ったり、子どもに強制的にやらせたりするなど、少年野球のイメージはあまり良くありませんでした。そういうチームを減らしていくことが、野球人口を増やすことにつながるのではないかと考え、モデルケースとなるチームを作ろうと思いました。うちのチームは怒らないんです。褒めて、褒めて、褒めちぎる。それでも結果が出せるっていうことを見せたくて、今頑張っているところです。その野球チームで、毎年卒団式があるのですが、チームで頑張ってきた子どもたちが巣立っていく姿には、やはり心が動かされますね。
Q7
G. 汗と涙の塩(CEO)味エピソード(経営における最大の危機)
今のところ、危機的な部分はないですね。強いて言うなら、やり始めた 2〜3 年目くらいかな。まだ認知がされていないので、こちらが PR をかけても振り向いてもらえない。参加チームがなかなか集まらない。そんな時期もありました。でも、「この事業、10 年後には絶対いけるだろう」という自信があったので、そこまで不安にはなりませんでした。
Q8
H. 経営危機をどのように乗り越えましたか
ニッチな産業でライバルが少ないので、「いずれ勝てる」という自信がありました。また、世の中的にも、参加ルールが厳しい公式大会からオープン大会へという流れがきていたのも大きいですね。公式大会だと、例えばスパイクの色やメーカーが揃っていないといけないなど、不思議な縛りがあるんです。野球を楽しみたくてやっているのに、縛りがきつくてやめていくのがもったいないなぁと思っていました。認知が広まったきっかけは、野球 YouTuber が大会に参加してくれたこと。しかもそのうちの 1 組が全国優勝したんです。そこで一気に知名度が上がりました。当時競合が 2 社ほどあったのですが、6 年目でようやく肩を並べることができたなと。ここが投資のタイミングだと思い、そこから社員を増やし大会数も増やしたところ、一気にシェアを広げることができました。「俺もってるな」と改めて思います。
Q9
I. 社員とのエピソード(名物社員紹介)、社員への思い
野球大会の運営全般を任せている、大会の顔ともいえる社員がいます。明るくて人見知りしなくて、野球馬鹿の代表格。野球馬鹿って野球のこと以外世の中のことを知らないんです。でも愛嬌があって、礼儀はしっかりしている。誰からも愛されるようなキャラクターです。小さなことも大きなことも最後までやり遂げること、途中で諦めないことを社員にはよく伝えています。野球に例えて「9回2アウトからでも逆転できるじゃん。諦めないと、ドラマが待っている」と話すと、皆納得してくれるんです。野球をやってきたメンバーが多いので、野球に当てはめて話すようにしています。
Q10
J. リーダーシップのスタイル
ついてこい系です。社員にも、直接ストレートに熱い思いを伝えることが多いです。その人のために、と思ったら放っておけないタイプなので。その時に社員が気付けなくても、最終的にその人が幸せになったらいいなと思って伝えています。一方で「私も間違えるよ」「神様じゃない」というスタンスも大事にしています。
Q11
K. 事業を通して実現したい夢
現在、お客さまの大半が名古屋や東京、大阪、福岡など、都市部の方。これからもっと地方の開拓をしていきたいと思っています。地方の方にも喜んでもらえるように、野球スクール、大会、ツーリズムなど全ての事業をさらに全国規模に伸ばしていきたいです。
Q12
L. 夢を実現するために武器となる社長の強み、こだわり
ネットの広告が主流の現在ですが、アナログな手法も侮れないと感じています。特に、地方では人とのつながりが強く、直接人からの紹介の影響が大きいんです。ですので、直接会って話したり、電話をしたりしてつながりを作り、味方を増やしていくということを大事にしています。
Q13
M. 社会貢献、地域貢献、SDGs に関して実行していること
地域の少年野球大会を毎年実施しています。正直利益が出ないのですが、野球界を盛り上げるため、そして地域貢献のためにやっています。「こんなチームがあって良かったね」と思ってくれる子どもがいるのがうれしいですね。遠方からきてくれる人もいます。
Q14
N. 自社の強み、面白い制度
この事業は真似できない、というのが一番の強みです。どんなイベント会社も真似できないと思います。なぜかというと、47 都道府県で野球場を確保するのってめちゃくちゃ大変なんですよ。全国各地に野球場がありますが、確保するためにはつながりがないと難しい。また、47 都道府県に審判のネットワークがあるのはうちだけです。大会をする際に必要な自治体の申請の通し方などのノウハウも揃っています。大企業から大会の運営依頼があるほど信頼されています。
Q15
O. 若者に望むこと、共に挑戦したいこと、メッセージ
何より全力を出すことが大切です。サラリーマンであれば、与えられた役割を 100%ではなく、150%でやること。社長を目指している方は、成功をするまでやり続ける強い精神力を持つこと。途中で諦めなければ「失敗」にはなりません。人間は前を向くしかない。成功するまでやるという強い気持ちを持ってほしいです。好きなことじゃないと続かないという面もあると思います。私は、たまたま野球が好きで野球を仕事にしましたが、これがもし他のスポーツだったら続かなかったかもしれません。好きなことを仕事にできるって本当に幸せなんです。幸せすぎて、日々世の中の人に感謝して過ごしています。
Q16
P. 家族へのメッセージ
家族に一番迷惑をかけているので「いつもありがとう」と伝えたいです。休みなく働いてきたので、家のこともなかなかできない状態が続いていたのですが、そのことを妻も子どもも理解してくれ、応援しくれたのが本当にありがたかったです。現在、妻は副社長としてマネジメント業務を担っていて、お互いに人としてリスペクトし合う関係性です。「この仕事しかできないんだから、それでいい」と言ってくれて。いつも感謝の気持ちでいっぱいです。
Q17
Q. 社員から見た社長の推しポイント
代表の吉川は20歳のころから、物事を実体化する着想、アイデアマンとしてズバ抜けた才能を持っていたと思います。そして何より、そのアイデアを実行する決断力・行動力も並外れていて、周囲の仲間を同じ目標に突き動かす求心力があり、リーダーとしての気質を備えていました。当社のアマチュア野球ビジネスという事業性が、一見、成長力として魅力がないように見える方にも、吉川と時間を共にすると、吉川と一緒に行う事業、そして吉川本人の魅力に惹き(ずり)込まれます。吉川は野球のことを誰よりも愛していますし、誰よりも詳しいです。仕事もプライベートも区別なく、野球に携わっています。ここまでの情熱があればこそ、みんなが手を出さない当社のような事業でもやっていけるのだなぁ、とつくづく思います。仕事には厳しい姿勢で臨み、率先垂範で自身が社員を率いています。そんな強い社長のイメージですが、不思議なほど社員には優しく接しています。自分の理想に共鳴する仲間を大事にしてくれてるんだと感じます。
COMPANY PROFILE
- 社名
- BSO 株式会社
- 設立
- 2011 年 8 月 18 日
- 社長就任
- 2011 年 8 月 18 日(創業社長)
- 業種
- サービス、野球大会運営
- 事業内容
- 野球関連事業を全国で展開
- 提供価値
- 野球を通して夢と感動を創造する
- 本社
- 名古屋市名東区朝日が丘1-1勝野ビル3F
- 拠点活動
- https://bsobb.net/
- 活動エリア
- 全国
- 社員数
- 40 名
- 採用情報
- 中途、パート、アルバイト