“君が経営してくれ”といわれたそのときから、社長人生が始まった  【エクステンド フルコース連載企画 vol.1】 代表取締役 沖原厚則氏 (東京)

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事業再生、M&A、そして経営承継や事業承継。中小企業の悩みを解決するコンサルタント業に従事する、株式会社エクステンドをフルコースで味わう連載企画。前身のフィナンシャル・インスティテュートの立ち上げから在籍し、2015 年からは代表取締役として腕をふるう沖原厚則さんは「社長になるなんて考えてなかった」といいます。
シリーズ#1 は、そんな沖原社長の汗と涙の塩(CEO)味ストーリーを紹介します。

社長を任されるほどの人だったら、きっと学生時代から成績も優秀で、良い会社に就職をして、やがて社長まで昇りつめた—そんなストーリーを想像する人も多いかもしれません。

もちろんそんな社長も数多く存在するかもしれませんが、話を聞いてみると実は紆余曲折のエピソードがあるものです。沖原社長もそのひとり。なんと、入社前年の 11 月に内定が破談になって大慌てしたそう。

バブル期の就職は大学名がものを言う

「僕が就職を考えていたころは 1987 年でした。バブルで学生にとってはいい時期。出身大学は滋賀大学という国立の大学でしたが、体育だけしか優がないのに関東の都市銀行に入社した人がいたり、二浪して 2 回留年しているのにインカレのヨットで 1 番になっただけで関西の都市銀行に入ったりとかね」

沖原社長も大手商社への入社を考えたそうですが、現実には出身大学で判断される部分も多かった時代。人気の商社に入れたとしても良いポジションでは働けないだろうと考えたそうです。

「採用活動の解禁日に、大手の商社に電話してみました。向こうが出身大学どこですか、と聞くので正直に大学名を言うと特に話は進まなかったんです。そこで間をおいてもう一度電話し、“東大出身です”って言うてみたら“すぐ来てください”となり(笑)。それが現実かと思いましたよ」

紹介であっさり内定ゲット。ところが!

ラッキーなことに、親戚の紹介で関西に本社があるテキスタイルの会社にあっさり内定。ファッションブランドの洋服の輸入もする会社だったので、イタリアにもしばしば出張させてもらえる機会がある。一流大学からたくさん学生が来るという環境でもなかったので「ここなら良いポジションにつけそうだ」と、したたかに判断してこの会社にお世話になることに決めました。

ところが、沖原社長の母と、沖原社長を紹介してくれた叔母が、全然関係のないことで大喧嘩。決まっていた内定が破談になってしまいます。季節はもう冬にさしかかろうという 11月。さすがに慌てた沖原社長でしたがどうしようもありません。

「バブルの時期に就職浪人なんていませんよ(笑)。採用活動をしている会社もないし、ツテをたどってなんとか神戸のアパレル企業にはいることができました。ここで 12 年働いていたんですが、ビジネスパーソンとしてこの会社で突き抜けることは難しいかなと感じていて、転職を考えたわけです」

日経新聞の中途採用欄を眺めて絞り込んだのは、大手コンサルと、規模は小さいけれど働きがいがありそうだと感じたコンサルティング会社。面談の結果、社長が気に入ってくれた後者のコンサル会社に入社。

「未経験でしたけど、楽しかったですね。夜通し仕事をすることもよくありましたが、当時はそれさえも面白くて。社長も強烈な人で、いついつこの会社に行ってこいというんだけれど、“行って何をしたらいいですか?” と聞くと、行きゃあわかる、って。これは今の若い人には理解しにくいかもしれないけれど、行ってみて相手が何を言うかによって対応していくというコンサルの性質を考えると、とても大事な考え方。勉強になりました」

強烈な社長たちに揉まれる日々

企業を訪問して、いざ社長と対面した途端、コーヒーの置き方が悪いと社員を怒鳴り散らす社長、行っても会社の話はしないで自宅を購入した話や直前に面会していた企業の話ばかりの社長など、強烈な社長たちと対峙する日々。「もうこんなのイヤやー」とめげそうになることは数しれず。

それでも、経営者たちとの丁々発止を続けるなかで、「経営をする人は個性が強いが、それはきっと犠牲にしているものがかなりあるからだろう」と感じるようになったという。それと同時に、社長にはそれぞれ、独特の考え方や哲学があることを知っていきます。

「そんな社長たちからビジネスのことやモノの考え方を学ぶたび、社長のそばで仕事ができるというのは、いい立ち位置だなと思っていました。ですから、自分が社長になろうなんて気持ちはまったくなかったですね」

この会社で7年ほど働き、コンサルティングという仕事の面白みを存分に知った沖原社長は、エクステンドの前身であるフィナンシャル・インスティテュートへ移籍します。その理由も「自分が社長に可愛がられているのを妬むイヤな同僚がいて。嫌な思いをしてまでこの会社にしがみつくこともないと思ったから」とのことですから、沖原社長も大胆です。

社員として働く会社の身売り先を探すうちに、意外な流れに

「自分が入ったころは、中小企業金融円滑化法の施行前で銀行と経営が苦しい企業を繋ぐメルマガ広告がハマり、バンバン集客が取れ、売上もうなぎのぼりだったんです。ところが、円滑化法が施行されたことで集客がガクンと減った。そんなある日、当時の社長から“沖原くん、うちの会社を売ってくれ”と言われたわけです。そこで会計事務所にあたって、自社の M&A を進めることになりました」

通常、自社が売り手となる M&A は社員のモチベーションを大きく下げるため、秘密裏に進められるのが通例です。もちろん沖原社長も注意して進めていたのですが、沖原社長が激怒する出来事が起こってしまいます。

「社員みんなが見られる社長のスケジュールに、“M&A のヒアリング”って懇切丁寧に書かれていたんですよ。何やってるんですかって怒りましたけど、どうしようもないですよね。主要メンバーがゴソッと抜けて売上も下がって。社長はどんどん落ち込み、しまいには僕に経営してくれと相談するようになりました。2016 年の 2 月くらい。寒いときでした」

それでも、社長になる気なんてまるでなかった沖原社長。取引先の銀行が株の買取資金を貸してくれるなら引き継いでもいいと返事をします。

「天下のメガバンクが中小企業の株の買取資金を出すなんて絶対ありえない話です。ところが、当時の支店長が赴任してきたばかりでやる気いっぱいで。貸す気まんまんなのです。“ちょっと待ってくれと思いましたが、話がトントン拍子に進んでしまって。結局、社長を引き受けることになったんです」

半年後に社長を受け継いだ沖原社長。なんの準備もないまま経営者になった社長の汗と涙の塩(CEO)味ストーリーは次回#2 に続きます。