リクルートから独立し数年、突然継ぐことになった父の会社は大赤字。人生の危機を経験し辿り着いたのは、主観的幸福度の高い人を増やす
“時間の使い方”
(株)プレゼンス
代表取締役社長
田路和也氏(東京)

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田路和也社長はパソナからリクルートグループへ転職し、その後32歳で独立。営業部門の時間生産性向上に特化したコンサルティング事業でプレゼンスを創業しました。リクルート在籍時に連続営業表彰記録を打ち立てた得意の営業と、人事コンサルティングをかけ合わせた事業は順調なスタートを切りますが、突然父親の会社を継ぐことになったところから状況が一転。人生の終わりを感じるような出来事に次々と襲われます。今回の対談では「汗と涙の塩(CEO)味が多い人生」とご自身も語る田路社長の経営ストーリーを深掘りしていきます。

大赤字状態で突然引き継ぐことになった父の会社

マリコロ編集長:プレゼンスは創業が1984年、旧社名はアポロ広告社とありますが、元はお父様の会社だったのですか。

田路:少しややこしい話ですが、2007年に自分でプレゼンスを起業して2〜3年経った頃、広告会社を経営していた父が脳梗塞で倒れまして。父が作った会社を残したいと考え、2014年に2社を経営統合、社名をプレゼンスに変えました。それまで一度もアポロ広告社に在籍していませんでしたし、父の事業は全くの畑違いだったため継ぐとも思っていませんでした。しかし、父が倒れたとき社内に後継者がいなかったため、僕が引き継ぐのが順当だということになったんです。

マリコロ:突如、指揮を執ることになったアポロ広告社はどんな事業を行っていたのですか。

田路:主に2つで、まずはテレビ広告のメディアバイイング。この事業は今も堅調で、僕の代になってからも売上は3倍以上伸びています。もう一方はデータの販売、昔でいう名簿業者に近いビジネスです。
インターネットのない時代には大手企業の新規開拓に使われ、かつては高利益率を誇るメイン事業でしたが、2005年の個人情報保護法施行で世の中の風潮が一転。大手企業との取引が次々と停止し、売上が激減してしまいました。このために創業から26年連続無借金・黒字経営だったアポロ広告社の業績が急激に悪化し、直後に父が倒れ、そのまま私が引き継ぐことになったんです。まさに塩(CEO)味ですよね。

自身のビジネスは「戦略人事」×「営業」

マリコロ:畑違いとおっしゃいましたが、田路社長が創業したプレゼンスはどのような事業を行っているのですか。

田路:会社員時代の経験の延長線上で起業しました。新卒の就活活動では、いずれ起業独立したいという気持ちが強かったので、大手企業より早くスキルが身につくだろうとベンチャー企業ばかりを受け、パソナを選びました。その後、リクルートマネジメントソリューションズへ転職。適性検査のSPIを使った採用コンサルティング、社員教育や研修の提供、人事制度の設計に携わり、それらを一人で行うことができるようになってから独立しました。リクルート在籍時には今も残る連続営業表彰記録を打ち立てたのですが、このとき、営業部門の時間生産性向上に特化したビジネスを展開しようと考えました。

マリコロ:32歳での独立、どんなスタートでしたか?

田路:最も苦労せずに儲けさせていただいたのが起業1年目だったかもしれません。退職後もリクルートマネジメントソリューションズから、社内の若手営業育成や難攻不落企業の新規開拓営業を任せていただき、社員時代以上に成果を上げました。また『7つの習慣®︎』で知られるフランクリン・コヴィー・ジャパンから営業研修の講師としてスカウトされ、講師デビューを果たすなど、何もしなくても売上が作れる状況が最初からできていたんです。

マリコロ:起業1年目は「仕事がない」「資金もない」という声をよく聞きますが、羨ましいお話ですね。お父様の会社を継がず自身の会社だけを存続する道もあったと思いますが、なぜ経営統合の選択に至ったのですか?

田路:妹はいるものの、一人息子。父は口にこそしませんでしたが「継いでほしい」という気持ちもあったのではないかと想像したことと、長く在籍していた社員を路頭に迷わせるわけにはいかないなと思いました。それに、私がやったほうが父の経営より上手くいくはずだという気持ちが心のどこかにありました。自分のノウハウを使ってより良い会社にできるのではないか、それを試したかったんです。

人事コンサルの手腕も女子高状態の会社には効かず

マリコロ:実際、いかがでしたか。

田路:全然うまくいきませんでした。大企業と同じ手法では通用しない中小企業経営の現実を突きつけられ、これまでの自分の浅はかさを恥ずかしく思いました。引き継いだ父の会社は東京、大阪、地元の姫路と3拠点あり、50名近くの社員がいました。しかもその全員が女性で、創業以来最悪の業績だったせいか、拠点同士も拠点内も仲が悪い。会社員時代には見たことのない世界がそこにはありました。まるで荒れた女子高に赴任した校長先生のような心境でした。

マリコロ:試練ですね。“女子高の校長先生”としてどのように話をされたのですか。

田路:まず社員全員と1対1の面談を定期的に行う、今でいう1on1を行いました。当時はオンラインミーティングなどなかったため、大阪や姫路へも何度も出向きました。しかし腹を割って話したつもりが、裏で社員同士情報共有して揉めている始末でして。強制的に辞めてもらった人はいないものの、結局5年かけて少数精鋭にする方針でリストラをしたため、正直乗り越えたとは言えないですね。最近は大手企業だけでなく、以前経営していたような50名規模の企業の研修やコンサルティングも行っていますが、そういった企業の社長さんの気持ちは痛いほどわかります。これは父の会社を引き継いだからこそ得たもの。父を恨んだこともありましたが、今となっては父からの素晴らしいギフトだったと思っています。現在父は倒れたときの後遺症でほとんど話せませんが、会社が存続している喜びを少しでも感じてくれていたら嬉しいです。

苦難の末に見つけた “時間の使い方”

マリコロ:現在のプレゼンスは正社員ゼロというお話ですが、やはりそのときの経験ゆえの方針でしょうか。

田路:それもありますが、その後自分で採用して少数精鋭でやっていた時期に、さらに塩(CEO)味の強い経験をしまして。初めて新卒採用で2名を採用した直後、大きな取引先が倒産して売上を失い、過去最大の業績悪化という最大のピンチが訪れたんです。必死で営業したり、社員の給料を支払うために自分の車を売ったりする最中、社員の裏切りまで発覚。それ以来、自分の時間はポジティブな人や一緒にいてワクワクする人にだけ使うと決意し、時間の使い方を変えたんです。

ただ、困っている私を助けてくれたのも人。ですから、時間の使い方は変えても、人との付き合い方は変えていません。ちなみにですが、そのとき事業投資に失敗した上に投資詐欺にも遭い、全財産を失いました。

マリコロ:全財産!? そのときご家族もいらっしゃったんですよね。

田路:当時、私は40歳を目前にして子どもが1歳半で幸せの絶頂期。こんなにもあっけなく人生は終わるのかと絶望しました。実は30歳のときにも、モルディブでスマトラ島沖地震による大津波に飲み込まれるという九死に一生の経験をしていて、ちょうど10年おきに死にかけています。50歳になる来年、また何か起きるのではと心配で、今も慎重に歩みを進めています。

マリコロ:衝撃が強すぎて言葉も出ません。人生の終わりを実感するほどの裏切りや、立ち直るきっかけをくれた援助。人間のあらゆる側面を見てこられた人材の専門家でもある田路社長ですが、人の問題で悩む経営者は多いですよね。どう接していけば、自発的に行動し成長する社員が多くなるのでしょうか。

田路:自分の仕事を半分否定することになりかねませんが、独立して15年、人材育成と採用に携わってきましたが、採用が8割だと考えています。ポテンシャルの低い人は幼少期の家庭環境、教育環境に問題のある場合が圧倒的に多く、幼少期の教育に関与しない限り本当の意味で、人を大きく変えることはできないと感じます。とはいえ、ポテンシャルが高いだけでもだめ。組織風土や会社の価値観に共感してくれる人でなければ、優秀でもマイナスの影響を及ぼしかねません。そのため、当社では適性検査のマルコポーロを使って資質面と価値観の両面から人材の見極めを行い、一定水準以上の人たちに適切な教育を行うよう指導しています。

失敗は名誉なもの。その後の生き方でプラスに変えられる

マリコロ:田路社長は、独立し社長になられてよかったとお考えですか。

田路:そうですね、波はありますが(笑)。あのままリクルートにいたらどんな大きな仕事ができただろうと考えることももちろんあります。しかし、私の周りにはこの選択をしていなかったら出会えなかった人たちばかりなので、やはり今の道以外あり得ないですね。現在運営するシェアオフィスにその名を付けた通り、社長というのは最も“タイムリッチ”に生きられる職業だと思います。一国一城の主であり、自分で自分の人生のハンドルを握ることができる。やりたい仕事でしたし、今の人生に満足しているのもそこが大きな理由です。

目指すゴールは、私と出会って人生がハッピーになったと思う人をいかに増やせるかということだけ。近年耳にする「ウェルビーイング」という言葉にも示されるように、これからの経営はそれが価値になると考えているので、世に広めて自分自身が具現化する存在でもありたいです。

マリコロ:最後に、失敗をどう捉えて乗り越えるか、必要なのはどんな精神だと思われますか。

田路:「未来は変えられるが、過去は変えられない」というのは半分正しいですが、私は「過去も変えられる」と考えています。その後の生き方でいくらでもプラスにできるんです。「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」という名言があるように、失敗を恐れて何もしない人が世の中の大半を占める中で、失敗しているだけで名誉の負傷とも言えます。それに、人生は振り幅が大きいほど喜びも痛みもわかり、他人に優しくできるもの。失敗を経験しそれを乗り越えることで、人としての器が大きくなり、経営者としての魅力も増すのではないでしょうか。