後継者の武器は桁違いの信用度。歴史をありがたく承継し、先代を認め実績を残す。
(株)秋田屋
代表取締役社長
浅野弘義氏 (愛知)

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秋田屋は江戸時代末期の1855年(安政2年)に創業した歴史ある酒問屋で、現在は東海をメインに酒類、食品類の卸事業を展開しています。
2020年のコロナ禍に10代目社長として浅野弘義氏が秋田屋を承継し、父である先代から引き継がれた経営方針を踏襲しながら新たな挑戦をされています。
「人生をやり直せるとしても、秋田屋があればまた秋田屋をやります」と愛情たっぷりに話す浅野社長。後継者という仕事の魅力を伺いました。

「継ぐことは勝手に決まっていた」自然な流れで家業へ

マリコロ編集長:これだけ歴史のある会社を継ぐことは大きなプレッシャーだったと思うのですが、いつ頃から後継者になるという意識をされていたのですか。

浅野:一人っ子だったので、そういう空気感がずっとあったんですよね。中高大と受験先や就職先もいわれるままに進んだ感じで。
決断したタイミングとかはなくて自然とそういう流れになっていましたね。
最初はキリンビールで3年間働き、もう少しここで勉強したいと考えていたんですが、父から「5年、6年、7年働いても学べることはそんなに変わらない。若いうちに戻ってこい」といわれ、秋田屋に入社しました。
というのも父は早くに父親を亡くし、親子で一緒に働く期間がなかったためか、少しでも一緒に仕事をしたいという思いが強かったみたいなんです。

名古屋本社の入り口にて。素敵な社屋です!

マリコロ:秋田屋に入られて最初に担当された仕事は何でしたか?

浅野:最初は「数字を見ろ」といわれましたね。経営者として知るべきことが何か、父が明確に思い描いているものがあったのだと思います。
キリンビールでは営業だったのですが、「営業ができる人はいっぱいいるから、それよりも中のことをやれ」と。 まずは経営の根底となる総務経費を見ること。そして、メーカーさんとの関係性がとても重要ですのでその関係性を作っていくこと。この2つをやるよういわれました。

「新しい感覚が必要になるから」コロナ禍で事業承継

マリコロ: 2006年に秋田屋に入社され、社長に就任されたのが2年前の2020年です。タイミングとしてはどのように感じていらっしゃいますか。

浅野:正直、私はもっと後でも良かったかなと思いました。
コロナ禍の2020年夏ぐらいに、父から「俺の経営経験からじゃ見えない世の中になりそうだから、お前がやった方がいい。新しい感覚でやってくれ」と突然話があり、承継することになったんです。

マリコロ:父である会長と経営について衝突することはないですか? 浅野:細かいことでの揉め事はたくさんありますよ。あの年代の人って結構頭ごなしにいってくることがあるじゃないですか(笑)。

酒類や食品などの販売とともにセミナールームも設けている「The蔵」にお邪魔しお話を聞きました。

ずっと引いてばかりではいられないから、反論するところはして、結果を出しながらちょっとずつ認めてもらえるようになった感じですね。
ただ、基本的に会長の経営の考え方については尊敬をしているので、そのやり方からズレることはありません。
大手商社がたくさんある中で、我々のような中小企業がこの地場で生きていくには、社会から必要とされ続ける企業である必要があります。
同率規模の卸業者が少なくなってきていることを考えても、会長が選んできた道は基本的に間違いなかったと思います。そうじゃないと、今こうしてここにありませんから。

父の経営方針を踏襲しつつ海外へも事業展開

マリコロ:お父様の経営方針とは、具体的にどのようなやり方なのですか?

浅野:一つは商品に特化するということですね。我々ならではのルートをいかし、希少性の高い商品を扱っています。

特に今おすすめの日本酒3本を選んでいただきました!【右から:純米大吟醸 名古屋城(金虎酒造)、仙禽 センキン オーガニック・ナチュール(せんきん)、YAMAHAI AIYAMA 2018 vintage(農口尚彦研究所)】

また、酒屋さんと在庫や配送の共有化といった新たな物流の仕組みを全国の中でも先駆けてやってきました。それは良い選択だったと思います。
一般的な流通の流れは、メーカーがあって、我々みたいな卸があって、酒屋さんがあって、
飲食店がある、この四段階です。
卸も酒屋さんも同じように在庫を持つことになるので、それを一緒にすれば酒屋さんは在庫がゼロになり、キャッシュフローが上手く回るようになりますよね。酒屋さんの在庫をなくすために、業界の中ではかなり早い段階から物流センターを構えました。

マリコロ:一方で浅野社長になってから新しく始めたことはありますか?

浅野:僕が社長になってまずやりたかったのは、役員みんなで中長期戦略を考えることですね。今までは会長が考えて「今年はこれをやるぞ」っていう発信が多かったんですよ。
2025年に100期を迎えるにあたって、会社がどういう姿であるべきか、これから何を積み上げていくか。そういう戦略を役員みんなで考え、社内発信をしようと。
まずは何からやるべきか明確なベクトルをしっかりと作ることをやりましたね。 そして、国内の市場が縮小することを見越して、2016年頃から海外への事業展開を進めてきました。当初はノウハウがなくて非常に苦労したのですが、最近パートナー企業と連携したことにより、現在は香港、中国、ASEANなどの地域で10社と新規契約を結ぶことができています。

高い信用度を引き継げるありがたさ

マリコロ:老舗の会社では、先代との関係性に悩まれるパターンが多いと思うのですが、秋田屋さんが上手く承継できた秘訣は何だと思われますか?

本社入口入ると飾ってある経営において大切にすべき三カ条。現在の経営理念に受け継がれています。

浅野:父が経営者としてやってきたことをしっかり認めたことだと思います。
変えていくべきことがあれば、それはしっかり正面を向いて話し合えばいいんです。尊重するべきところは敬い、変えたい部分については実績を残し納得してもらうことが大事だと思います。

マリコロ:後継者という仕事の面白さや醍醐味を教えてください。

浅野:まず会社を承継するということは、その時点で多くの人たちが築き上げた素晴らしい歴史や文化が詰まった会社を引き継げるということなので、それは本当にありがたいことですよね。 社会からの信頼度が桁違いに高いので、ゼロから何かを始めることを考えると、可能性が全く違うと思います。創業する方って自由なので振り切れるかもしれないですが、後継者に自由がないのかと聞かれたら、実際はあると思います。

会社を引き継ぐことが後継者として生まれた者の宿命

マリコロ:浅野社長のお話を聞いていると、後継者の酸いも甘いもの“甘い”部分が印象的です、といってしまっても良いのでしょうか。笑

浅野:そうなんですよ。恵まれていると思います。笑

マリコロ:飾らないお人柄と相手を認める姿勢が、良好に事業承継を遂げた秘訣なのかもしれませんね。
最後に、いま社長になられて2年ということですが、これだけは叶えたいという夢はありますか?

浅野:夢は30年後、自分の後継者にこの会社を渡すことです。それが僕の宿命だと思っているので。これだけ長く引き継がれてきたものを、あるべきタイミングであるべき人に引き継ぐ、それが一つの夢です。
僕が出会ったこともないような時代の人たちから引き継いできたものなので、それを絶やすことは絶対にできません。
売上は良い時も悪い時もありますが、お酒の中間流通の中で必要とされることを追求していけば30年間は生きていけると思うので、その責務を全うしていきます。