保険のプロが受けた余命1年宣告。官民で培った幅広い知識を強みに、身をもって感じた保険のありがたみを伝えたい。
(株)QLIOnext
代表取締役
朝日慎逸氏(京都)

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朝日慎逸社長は郵政省からキャリアをスタート。企画部門から営業管理職への異動により「保険」と出会いました。その後転職したソニー生命では新人賞を獲得。天職と呼ぶにふさわしい仕事と出会うなか、さらなる高みを目指し独立することになります。
しかし、創業早々アルバイトを余儀なくされ、大腸がんが発覚し余命宣告を受けるなど、次々と苦難に見舞われます。それでも「保険の仕事をしていて良かった」と笑顔で話す朝日社長の強い思いと汗と涙の塩(CEO)味ストーリーとは。

街の郵便局で生まれ育ち、郵政省で「保険」と出会う

マリコロ編集長:朝日社長は長く保険業界に携わっていらっしゃいますね。キャリアのスタートをお聞かせください。

朝日:今は民間企業となった郵政省の近畿郵政局に在籍し、企画職に就きました。郵便局をコントロールする仕事です。大学在学中から現場で経験を積み、卒業後に郵政省内の学校で企画のための基礎を学んだ後、郵便部門の核となる部署へ進みました。
実は祖父の代から「特定郵便局」と呼ばれる街中の郵便局を営む家庭で育ったんです。気づけば郵政省に勤めていましたね。23年ほど在籍しましたが、人と接する仕事をしたいという思いが強く、30歳で保険営業の管理職として現場へ戻りました。

マリコロ:そこで保険に出会ったのですね。まったく違う世界が待っていたのではないですか。

朝日:はい。それまでは綺麗なオフィスでの仕事でしたが、プレイングマネージャーとなったため外での営業です。悪天候の日に雨ガッパを着て赤いバイクで顧客を訪れることもあり、営業の辛さを痛感しました。数字が上がらずスランプに陥り涙したこともありましたが、上長からの言葉や日々の営業から学び、数字を伸ばしました。優秀な先輩から教えられた「山より大きな獅子は出ない」という言葉にも助けられましたね。

命をとられはしないから臆せずやれという教えです。全て結果に結びつかずとも、踏み出す力は大きな一歩ですからね。その後ステップアップしていくうちに、優秀な人材が郵便局から民間の保険会社へ流れる動きが起き、38歳のとき私にもソニー生命から声がかかりました。

全国2位で新人賞!保険営業が天職に

朝日:転職について「きっととめられるだろう」と思いながらキャリアの方に相談してみたところ、「思い立ったが吉日の朝日さんには、必ずしもこの組織が良いとは思えない」と、一切とめてくれず(笑)。結果、ソニー生命に転職することにしました。

マリコロ:ターニングポイントですね。転職後はいかがでしたか。

朝日:言葉を選ばずいえば、社員を上手に働かせる会社でした。出社は月曜と木曜の午前中だけ。与えられた数字を全うする必要こそあれ、それ以外はどんな過ごし方をしていても良いんです。全国で同時に106名入社し、研修を行った後1年間の競争の末、私は全国2位の結果に。獲得件数までは覚えていませんが、手元に残る当時の手帳を見ると出社時以外はお客様との予定でびっしり埋まっていました。

マリコロ:全国2位!天職だったんですね。

朝日:本当に楽しかったです。民間保険会社を知ったことで、それまで扱ってきた国の保険以外にも自信をもっておすすめできる商品があるとわかり、水を得た魚のようでした。

その後、2年、3年と進む頃、業界内に「乗合代理店」という業態が登場します。日本には現在41もの保険会社があり、ソニー生命に在籍している場合自社商品しか扱えませんが、そういった代理店なら複数の保険会社の商品を扱うことができる。独立後もソニー生命の商品を扱っていますが、それ以外も提供できればより良い提案ができると考え、43歳で独立しました。

思いを綴った「手紙」でアプローチ

朝日:独立以前の顧客も引き継ぎはできたものの、創業時はかなり厳しく、大好きなお好み焼き屋さんでアルバイトをしたこともあります。副業としてお好み焼き店経営も良いなと目論見ましたが、半年間働く中で生半可な気持ちではプロの方に失礼だと感じ辞めました。

マリコロ:そこから右肩上がりに売上を伸ばしたそうですが、販売商品の特徴を教えてください。

朝日:当社ではソニー生命含め、4つの保険会社のみ扱っています。先述の通り日本には41社の保険会社が存在し、大型商業施設にあるような保険ショップではその中から自由に選べるようになっています。しかし保険を扱って30年、多くの保険会社の得意分野を熟知するからこそ4社しか扱わない、それこそが強みです。法人・個人問わず、現在扱う商品だけで全てのお客様のニーズを汲めると断言できますね。

マリコロ:アプローチ方法について、朝日社長はお会いしたことのない方に突然手紙を送ることもあると伺いました。

朝日:アポイントの電話をしても本人まで繋がりにくいので、手紙を書くようにしています。変わった切手を使って興味を持ってもらう工夫をしたり、お名前を万年筆で手書きしたりとこだわっています。 契約には至らなかったですが、大手通販会社の創業社長とのエピソードは印象深いです。まだ深夜の通販番組に一人で出ていらした頃拝見して、この人にアプローチしたいと強く思い、当時その会社で売られていたビデオカメラを買ってテレビショッピング風の保険の紙芝居を作って送ったんです。すると後日ご本人から「多くの営業マンを見てきたが、こんな人は初めてだ。頑張ってください」とお電話をいただきました。契約には至りませんでしたが、そうやってアプローチできるのも営業の醍醐味の一つですね。

突然のがん告知で余命1年宣告

マリコロ:キャラクターもいかし、朝日社長ならではのフィールドを作り上げてこられたのだと思いますが、社員の採用はどのようにされてきましたか。

朝日:実は私の病気が発覚しまして。引き継ぐ必要に迫られたこともあり、現在社員を4名採用しています。私は人に教えるのが下手なうえ数字にもシビアなため、教育には苦労しますが、なんとか育っています。

マリコロ:病気はいつ発覚したのですか。

朝日:2016年です。毎年冬に引く風邪がその年は数か月治らず、4月にかかりつけ医で内視鏡検査をしたところ、がんが疑われ、大病院で再検査すると大腸がんの診断を受けました。待っていたのは2度の手術と8か月の抗がん剤治療。仕事は続けていましたが数字がかなり落ち込んだため、顧客にも病気を公表し、社員を同行させて引継ぎました。

マリコロ:現在お体はどのような状況なのですか。

朝日:気づけば全身がんの状態になり、2017年12月に医師から「病状の進行を遅らせる薬で治療すれば余命1年半、治療しなければ余命1年」と宣告されました。大きな決断を迫られましたが、薬を使わなければ生活の質は落ちません。私は治療をやめる選択をし、あれからちょうど5年です。

マリコロ:いまお元気のようにお見受けしますが、投薬などは現在も行っていないのですか。

朝日:はい。治療をやめた後、藁をもすがる思いで情報収集する中、知人から宮崎県の天然水を勧められました。しばらく飲み続けていたら、薬もサプリメントも飲んでいないのに体調が良くなってきて、私はもちろん主治医も驚く状況になっています。この経験がきっかけで、この水を商材としても取り扱うようになりました。

恩恵を受け再認識した “保険の存在意義”

マリコロ:ご自身の病気によって痛感した保険のありがたみ。改めて芽生えた事業への思いはありますか。

朝日:2年半の治療には健康保険適用外のものもあり、800万円ほど医療機関へ支払いましたが、その全てを保険で賄うことができました。この話をすると「高額な保険に入っていたんでしょう」と言われますが、特別高くもありませんでした。保険の仕事をしているからこそ、自分に合うよう切り替えやバージョンアップをこまめに行っていたため、お金の心配がなかったんです。抗がん剤治療は何時間も点滴を受けます。治療費の心配をしながら受ける人と、私のように余った保険金をどう使おうかと楽しいことを考えて治療を受ける人とでは心持ちが全く違うと思います。本当に保険の仕事をしていて良かった。病気はアンラッキーですが、その経験をお客様にお話しすることもでき、今こうして元気でいられるのは喜ばしいことだと感じます。

マリコロ:最後に朝日社長が独立して歩まれてきた立場から、独立・起業を考える方へのアドバイスをお願いします。

朝日:「山より大きな獅子は出ない」と重なりますが、臆せず何でも挑戦してほしいです。もしかしたら生命の危機が訪れるかもしれませんから。そしていざという時のため、きちんとした保険で備えておくことにも目を向けていただきたいです。健康なときしか入れませんからね。

朝日社長がいつも散歩をされるという鴨川にて