18歳で飛び込んだ葬儀業界。適性価格の普及とご遺族に尽くす信念で起業。非難や苦境をものともせず、伝え続ける命の尊さ。
(株)ティア
代表取締役社長
冨安徳久氏 (愛知)

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「ありがとう」と感謝され、人の役に立つ「葬儀」の仕事にほれ込み18歳で業界入りした冨安社長。37歳で「株式会社ティア」を創業されました。
業界の慣習を破り適性価格を追求したためたくさんの苦難を経験しながらも「徹底的にご遺族に尽くす」強い信念を持ち事業を拡大されています。
なぜ経営し続けるのか、そして自らの経験や思いを子どもたちに伝える「命の授業」を行う理由とは。

“ありがとう”と感謝される仕事がしたい、18歳で葬儀業界へ

マリコロ編集長:家業でなく葬儀の事業を起業される方は当時珍しかったと思いますが、どのようなきっかけがありましたか。

冨安:大学入学直前に知り合いから「世のため人のためになるアルバイトがある」と聞いて行ってみたら、葬儀社でした。
そこでアルバイトを始め、先輩社員がご遺族から涙ながらに感謝されている場面を見たことが葬儀の仕事にのめりこんだきっかけです。私もこの人のようになりたいと思い、大学入学をやめてそのまま葬儀社に入社しました。

マリコロ:人生観が変わる経験から思い切った決断をされました。

冨安:冨安家では小さい頃から「人のために生きなさい、人のお役に立てるような職業に就けたらこんな幸せなことはない」と言われ育てられました。
高校生の時、多くのアルバイトを経験しましたが、感謝されていると実感のわく仕事はなかったので、ようやくみつけたという気持ちでした。
その会社では、「出社してから退社までの間は、故人様とご遺族のことだけを考えなさい」と教わり、とにかく誠心誠意、夢中で働きました。 すると、ご遺族から感謝の手紙をいただけるようになり、お金以外の報酬に感激しました。

最も尊敬する坂本龍馬の絵と若いころの冨安社長のお写真。社長の席から見える場所に飾られています。

一生懸命さで。“年齢=信頼”の時代に、若くして評価される

マリコロ:18歳という若さで業界に入られたということですが、若いという理由で苦労されることはありませんでしたか。

冨安:まさに、当時は“年齢=信頼”の時代だったので、18歳の若者を信じてくれる人は少なかったように感じます。
ご遺族やお寺の方から「あんな若い担当者を寄越すとはどういうことですか」「担当をかえてください」と、会社に電話がかかってくることもありました。
でも先輩たちは「あの子は若いけど本当に一生懸命やってくれます。何かあったら全部私たちが責任をとるので、担当をさせてください」と言ってくれました。
最初は私のことをいぶかしげに見ていた喪主様やお寺の方も、葬儀が終わると認めてくれました。経験のあるベテランに若者が勝つためには一生懸命やるしかないと思います。

書籍も多数執筆されている冨安社長。ご自身も読書家でいらっしゃいます。

マリコロ:18歳で葬儀を仕切る、想像ができません。その後37歳で独立されるまでにどのような経緯があったのですか。

冨安:最初の葬儀社で3年半働いて父の病気を理由に一度実家に呼び戻されたのですが、やはり葬儀の仕事がしたいと思い、東海地区の葬儀社に入社しました。
会社がかわっても、1社目で学んだお客様に尽くすという姿勢を大切にし、ご遺族に徹底的に尽くして喜んでもらおうと一生懸命やっていたところ、ご遺族から感謝の手紙が届くようになりました。
手紙が来ることで評価され昇格し、25歳で店長に、そして「お前みたいな店長を育ててくれ」とマネージャーになりました。

「徹底的におもてなし精神の葬儀社をつくる」30歳で決意

冨安:ただ、30歳の時に転機となる出来事がありました。
ある日の会議で「来月から生活保護者の葬儀は断る」と経営者にいわれました。
仕事を始めたばかりのころ「故人様を分け隔てしない」「親戚が100人いても、例えいなくても同じように丁寧に故人様に接する」と教えられたので反論したのですが、残念ながら会社の方針を覆すことはできませんでした。
この出来事をきっかけに、適正な料金で適正な利潤を得られ、徹底したおもてなし精神でご遺族に尽くす葬儀社をつくろうと決意しました。

葬儀の研修を行う施設で祭壇を見せていただきました。

マリコロ:譲れない信念が起業のきっかけとなったのですね。それから創業にあたる準備はどのように進められたのですか。

冨安:当時は葬儀会館を建てないと勝負にならない時代だったので、生半可な思いでの独立創業は無理だと思い、「余命10年、40歳までの命だと思って独立創業に向かう」と大きな半紙に宣言を書き、自宅に貼りました。
急な事故や病気が原因となり、夢半ばで死を迎える人をたくさん見ていたので、リミットを設けて行動しようと決めていました。 6年かけて事業計画を立てながら資金調達に奔走し、結果1997年に会社を興すことができました。

業界の価格を破壊したら非難の的に

マリコロ:葬儀会館を建てる土地はどのようにみつけられたのですか?

冨安:まず地権者を調べ、土地を貸してくれないか一軒ずつ訪問していきました。
しかし「死」「葬儀」というものを忌み嫌う人が多く、葬儀会館というと誰も貸してくれませんでした。
そんな時にたまたま、がら空きの大きな駐車場をみつけ、地域の人に聞いてみたらそこは火葬場の跡で、誰も借りる人がいないということでした。
そこで、その土地の所有者に「葬儀会館を建てるために貸してもらえませんか」とお願いをしたところ、その方は資産家で、「自分が建てるよ」といってくれ、ありがたいことに建物と土地を丸ごと借りることができました。

マリコロ:運を引き寄せたとしかいいようがないです。創業初期の苦難はありましたか。

冨安:いろいろありました。立てたばかりの看板が河原に捨てられていたこともありました。 創業にあたり独自の価格を設定したら、当時の名古屋の業界平均の半額になってしまいました。価格破壊をしたことで、敵をつくってしまったのだと思います。

社長としての喜びは、社員の成長

マリコロ:立ちはだかる壁が多い中、なぜ事業を続けてくることができたとお考えですか。

冨安:私には絶対にブレない信念があったからです。
よく「起業家になりたい」という人たちと話す機会がありますが、私は「やらないといけないと思うくらいの切なる理由がありますか?」と聞くようにしています。
ただ単に「人に使われたくないから」「ちょっと面白いことを思いついたから」という気持ちで社長をやると困難な局面では耐えきれないと思います。
ですが、やらねばならない理由があれば、どんな障害があっても「やり抜かなければ」と諦めません。切なる理由がないのなら、独立創業はしない方がいいと思います。

マリコロ:社長という仕事の厳しさも当然あると思いますが、冨安社長が感じる社長だからこそのやりがいや面白さを教えてください。

冨安:やはり社員が成長して、社員自身が自分の成長を喜びだと思って働いているのを見た時は、社長冥利に尽きると思います。

手紙の話をしましたが、ご遺族から感謝の手紙が送られてくるような部下がたくさんいます。
大体社長宛に来るので、社長室で封を開けて読むのですが、部下がお客様に褒められ感謝されている。
それを手紙に書いてまで伝えたいと思ってくれる人がいる、そう思うだけで泣けてきます。
部下が褒められて涙できる、こんな幸せな社長はいないと思います。

命の尊さを伝える「命の授業」全国行脚に

マリコロ:最後に会社としての目標、冨安社長ご自身の夢を教えてください。

冨安:会社としては全国展開です。
何をもって全国制覇とするかは、出店地域を10万都市以上にするか、20万都市以上に設定するかで変わってきます。まだ具体的な数字に落とし込めていませんが、全国制覇を目標に、どこに出店できるか具体的な計画を立てていきます。
私個人としては、今学校で「命の授業」という講演を実施していますが、全国の小・中・高等学校をまわりたいと思っています。小・中・高等学校の児童・生徒に向けて、命の尊さや感謝の大切さについて伝えています。これまで若くして命を落とした子の親とたくさん向き合ってきました。その経験から生きる理由を伝えることができます。一人でも多くの子どもたちに生きたいと思うきっかけを作るために、「命の授業」をもっと広げていきたいと考えています。

周囲を愛で包み込み、前向きな気持ちにしてくれるパワー溢れる冨安社長にエネルギーをいただきました!