“地方の事務機器屋”から“働き方を提案する”企業へ。挑戦し続けるDNAが百年企業の倒産を救う。
(株)WORK SMILE LABO
代表取締役
石井聖博氏(岡山)

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明治44年に岡山で筆や墨の小売を行う「石井弘文堂」として始まり、その後事務機器販売を手掛けるようになる「石井事務機センター」の4代目として生まれた石井社長。東京の大手OA機器メーカーでの修行を経て地元へ戻り、すんなり社長を継ぐものだと考えていたはずが、実際の会社は倒産寸前。経営再建のなか辿り着いたのは、単に事務用品やオフィス家具等を販売するのではなく、“働き方を提案する”という新たな事業。2018年に「WORK SMILE LABO(ワークスマイルラボ)」へ社名変更し、全国展開へ意欲を燃やす石井社長の酸いも甘いも後継者ストーリーを伺いました。

父から「倒産する」と告げられ社長就任

マリコロ編集長:創業112年、尊い歴史を受け継がれていらっしゃいますが、初代から現在までの事業の流れを教えてください。

石井:創業者の曽祖父は筆や墨を扱う小売業からスタートし、最先端ツールだった文房具販売で支店を出すほど繁盛させ、社員を100名以上雇用していました。しかし戦争で岡山が空襲に遭い、全て焼けてしまったそうです。蓄えがあったので商売をたたもうと考えたものの、戦後GHQの占領により財産が凍結され、さらにハイパーインフレで立ち行かず、商売再開に向けて動き出した矢先に曽祖父は亡くなりました。
次の代となる祖父は、激戦地で亡くなったと思われていましたが、終戦から1年半たったとき奇跡的に生還し、事業を引き継いでバラックから商売を再開したそうです。リヤカーを引いて物を仕入れ、配るところからです。その後、BtoBへ業態を変更し、父の代には業務効率化のためのOA機器を扱う関連メーカーと販売店契約を結び、高度経済成長期の波に乗って売上を拡大させていったと聞いています。

マリコロ:石井社長は、最初からお父様の会社に入社されたのですか。

石井:私は大学卒業後、修行と称してキヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)に4年ほど在籍し、26歳で岡山に戻りました。すると、戻って3年後に倒産の危機を迎えます。急に父に呼ばれ「もうどうにもならない、他の仕事を探してくれないか」と告げられました。売上が伸びないことには気づいていましたが、潰れるなど寝耳に水。老舗企業の4代目として故郷に帰ったのに、倒産となれば肩身が狭い上に自己破産も確定し、父だけの問題では済みません。長男としてそれだけは避けたいと考え、一緒に銀行にお願いしに行こうと父に伝え、それが私のターニングポイントになりました。想像していた社長のイメージと真逆ですが、言った以上はやるしかありません。翌2010年から経営再建がスタートしました。

マリコロ:倒産寸前の経営状況となる原因はどのようなところにあったのでしょうか。

石井:以前から、私たちがいなくてもお客様は困らないと感じていました。付き合いがあるから取引が成立していますが、他社でも同じものが買えます。社員も仕事に対するやりがいやロイヤリティを感じづらく人材も集まりません。リーマンショックによる需要激減が経営危機の要因だったため、いかに価格競争を避けるかが重要だと考えていました。ただ、すぐには解決策がみつからず、最初の2年は社員の給料もカットせざるを得ませんでした。私自身も新卒より安い給料でしたし、会長であった父とも毎日喧嘩で、正直何度も辞めたいと思いました。当時は給料を上げたい、周りを見返したい、という反骨精神だけで踏ん張っていたと思います。

オフィス用品だけでなく「より良い働き方」の提案へ

マリコロ:その苦しい状況を抜け出すきっかけがあったのですか。

石井:はい。次第に私はお客様が本当にオフィス用品自体を欲しているのだろうかと考えるようになりました。例えばオフィス家具を入れ替える場合、依頼主は家具そのものではなく、社員がより快適に生産性高く働ける環境を求めているのではないかと。届けるべきは「より良い働き方」であると事業価値を再定義したんです。まずは真似したいと思ってもらえる働き方を見せるため、自社オフィスをリニューアルし、ITツールの活用も積極的に行いました。

左上:自分の帰宅時間を周知するプレート 右上:社員ロッカーにはそれぞれの今年の一文字や目標掲示 左下:テレワーク中の社員さん、テレワーク機材も販売  右下:社長室のガラスには一人一人のビジョンが手書きで書かれています

マリコロ:ワークスマイルラボさんのオフィス自体が、働き方を提案するショールームになっていますね。

石井:模索しながら辿り着いたのが、お客様にご来社いただき実際に体験してもらう提案スタイルです。この事業が伸びると確信に変わったのは、当時自社で行っていたテレワーク環境を見ていただいた時です。画面越しに在宅勤務している社員を見たお客様から「うちも同じことがしたい」と依頼され、すぐにご発注いただきました。このとき、何一つ商品を提案していなかったのに売り上げにつながったのです。商品を出さなければ価格比較が起きづらく、真似したいと思われる働き方のモデルを作り続ければ私たちは必要とされる、そう確信しました。

マリコロ:社員の方も営業しやすいですよね。テレワークを導入されたのもコロナ禍以前と聞き驚きました。

石井:新しい働き方のモデルを作ろうと取り組む中で、困り事を解決すれば事例になると考えました。当時社内に病気がちな子供を抱えるパート社員がいて、本人も周りも大変でしたが、自宅でも仕事が可能になればみんなの負担が軽減できるのではということで、テレワークを導入することになったんです。

地元・岡山に貢献するために

マリコロ:“働き方”に関連して“採用”についてもお聞きしたいのですが、岡山県内の新卒人気企業として順位が上がっているそうですね。

石井:社長になった際、10年後の会社の展望をまとめた10年ビジョンを作ったのですが、その実現には若い人材がどうしても必要だったため、新卒採用を始めました。社員や先代、銀行には猛反対されましたが、覚悟を持って進めた結果、新卒採用力の高い企業としてブランドが確立できています。採用力を上げるためには働き方が重要との証明にも繋がり、その意味合いは大きいと感じています。

マリコロ:百年企業の後継者として、地元・岡山への思いも聞かせていただけますか。

石井:私が後継者として引き継いだ一番大きなものは「お客様」です。地元に顧客基盤と強い関係性があるからこそリアルな対応ができる、これは業界の強みです。顧客はもちろん、今後取引させていただく地元企業の働き方も支援したいですし、事業を発展させ積極的に採用し、利益を上げることも地元への貢献だと考えています。また地元の経営者との交流も推進していて、専務である弟は公益社団法人岡山青年会議所の理事長を務めました。私自身も県内で業界ナンバーワンを目指す経営者を集めたコミュニティを運営しています。

マリコロ:弟さんも会社に関わっているのですね。

石井:弟も取引先の大手メーカーに勤めていましたが、経営危機の際に岡山に戻りました。現在は良好な関係ですが、かつては兄弟でぶつかることもあったため、先ほどの10年ビジョンを弟とともに作り共通認識をもつようにしたのです。トップが会社のあり方を決め、ナンバーツーに共感してもらい、現場の意見を結集して追求していくのが会社。まず弟とそのビジョンを共有できたことは今大きな財産となっています。

創業から112年、挑戦しつ続けるDNA

マリコロ:理念を新しく定め、改革をされてきた印象が強いですが、後継者として守ってきたものを教えてください。

石井:会社のあり方そのものです。2015年に立てた10年ビジョンにおいて、10年後には事務機業界を働き方を支援する業界に変え、全国ブランドにすると明言しました。今考えても高い目標ですが、そのおかげで多くの挑戦ができています。共感するメンバーも増え、 レベルを下げることは今や裏切り行為。辛くても絶対やらなければならないと考えています。
また、100年以上存続できたのはその代ごとに新たなチャレンジをしてきたから。先代までは具体的な理念がありませんでしたが、その時々で逃げずに新しい挑戦をする、それこそが私たちのDNAだと考えています。

マリコロ:多くの中小企業にとって後継者問題は大きなテーマですが、良好な承継のために大切なこととは、何だとお考えですか。

石井:やる気ある人に継がせるのが最も大切です。代々親族が受け継ぐ企業も多いですが、子息がやりたがらないケースもありますし、いざ継ぐことになった場合もやる気や能力があるかは別の問題。後継者の人選としては社員たちにもチャンスを与えるべきですし、誰が承継しても会社が大切にしてきたことをきちんと共有できるかが重要です。時代に合わせたやり方でこれまでと同じ理想を追い求めることこそ、引き継いでいく者のあるべき姿だと考えます。