鹿児島の霧島茶をブランドに。3代続く茶農家でチャレンジを続け、業界を越えたネットワーク構築に力を注ぐ。
(有)西製茶工場
代表取締役
西利実氏 (鹿児島)
霧島の自然との共存を大切にし、『誰もが安心して飲めるお茶』づくりを掲げる西利実社長。祖父、父に続き三代目として茶業を受け継いでいらっしゃいます。ストイックな父のやり方を尊重しながらも、オートメーション化や地域全体のブランディングなど独自の路線で事業展開。今回の連載「酸いも甘いも後継者」では、鹿児島を日本トップクラスのお茶の生産地に押し上げた一役を担う、後継者としての革新的なチャレンジとお茶農家の魅力を伺いました。
お茶の加工業から、品質にこだわる生産者へ
マリコロ編集長:鹿児島は2019年にお茶の生産量日本一になったそうですね。西社長が生まれた当時からお茶の生産は盛んだったのでしょうか。
西社長:今ほどお茶農家の数は多くなかったですが、山間地の雄大な土地にあるお茶畑に囲まれ育ち、小学生の頃から農家の手伝いをするのが日常でした。自社の創業のきっかけは、祖父が戦争から帰ってきた際に、お茶の工場を始めたことです。当初は畑ではなく加工業からのスタートでした。
マリコロ:どのような経緯で栽培畑を持つことになったのですか。
西:本家はお茶の加工業がメインだったのですが、その近くで畑を分家として持つようになりました。ちなみに西家のやり方としては、地域の販売所を経由せずに東京や九州などの地方に直接販売する方針でした。他と比べると小さなお茶農家でしたが、この方法で事業を拡大していきました。
マリコロ:当時は画期的な手法だったのでしょうね。その後、お父様の代で畑を拡大されていったのですか。
西:そうですね。1979年、父の代で法人化し、お茶の品質担保のために畑を持つという決断をしました。周囲からは反対に遭いましたが、1年で1ヘクタールずつ畑を拡大していきました。
マリコロ:山を切り崩して畑を開墾していったのですね。
西:はい。父親は勉強家で、農業技術を独学で勉強し、国や周囲のやり方に捉われず我流で展開していきました。高校を卒業したらすぐにお茶の経営を引き継ぐ覚悟で勉強していたそうです。
マリコロ:お父様はある意味、先代とは違う商いの手法を選ばれたということですね。
西:おそらく父は職人気質だったのだと思います。自分が納得するお茶を作るためには、畑からこだわりたいと。
マリコロ:幼い西社長には、お父様の姿はどのように映っていたのでしょうか。
西:完全なる「仕事人間」でしたね。授業参観に来ることも一度もなく、一年中仕事の事を考えているような人でしたから。
農業未経験ながら、後継者へ
マリコロ:職人的な経営者であるお父様の姿を見て育ったわけですが、西社長はどのような経緯で事業を引き継ぐことになったのですか。
西:父は口には出さないものの、後継者になってほしいという思いがあったと思います。私は4兄弟の長男でして、次男三男は農業系の学校に進学していました。一方私は大学を中退し、神奈川の営業系の会社でスーパーへの卸などを担当していました。うっすらと事業を継ぐ思いはありつつも、人に雇われる経験もしておきたいという意識がありました。
マリコロ:社会経験を積む必要性を感じていたのですね。その後どのタイミングで実家の事業に入られたのですか。
西:自分で言うのも何ですが営業成績が良く、良い経験が積めた実感をもてましたので、2年勤めたのち実家に戻りました。
マリコロ:他の会社の経験は実家の事業にもいかされましたか。
西:それが全然ダメでしたね(笑)。実家の事業を父親とともにやってみたところ、全然うまくいかなかったのです。栽培などの農業の知識も必要ですし、取引先との直接交渉ではネゴシエーションスキルも必要となります。最初はかなり苦戦しましたね。
独自の流通スタイルを貫ける高品質を維持
マリコロ:当時、お父様はどのように商売されていたのですか。
西:父も交渉が得意なタイプではなかったので、それを避けるためにも自分たちで品質を見極め、価格を決めて顧客に送るという独自の方法をとっていました。このようなスタイルは生産農家では稀で、お客様との長年の信頼関係と、品質の目利きがあるからこそできる方法です。
マリコロ:おじい様の代に開拓されたお客様を引き継いだのですか。
西:栄枯盛衰じゃないですが、取引先も祖父の代から私の代では移り変わっています。お茶の品質も変化するため、その時々でのお茶の出来栄えと取引先をコントロールする必要が出てきます。お茶の世界では同じ重量でも300円から30,000円まで価格に開きはありますが、お客様によって「良いお茶」の定義は変わりますので、ニーズに合わせてお茶を提案するスキルも求められるのです。
マリコロ:奥深い世界ですね。私は煎茶が大好きで、幼い頃からよく飲んでいます。一度生産者の方に聞いてみたかったのですが、私たち一般人でも「良いお茶」を見分けられるポイントはあるのでしょうか。
西:私も煎茶が好きです。飲まないと分からない領域はありますが、私たちからするとお茶の葉の色や香りで、ある程度見極めは可能です。土地の要素も重要で、霧島地区は山間で昼夜の寒暖差もありお茶の香りが締まりやすい場所ですね。
マリコロ:香りがやはり重要なのですね。土地の利点もあり、鹿児島茶の生産量が上がったのでしょうか。
西:土地の要素もありますが、製造プロセスの影響もあります。これまで手摘みがメインだったのを、非常に精度が高い機械を導入することで、高品質の茶葉の大量生産が可能になったのです。大型の機械を導入できる立地も鹿児島には有利に働いたのだと思います。
後継者問題は、事業の魅力と発展性を伝えることが重要
マリコロ:農家や生産に携わる方にとっては、後継者問題が重要だと思います。鹿児島の現状はいかがですか。
西:なかなか若い世代が入ってこないため、自分の代で終わりという農家も多いでしょう。ただ、これは若い世代にとって魅力がある事業にしない限りは仕方がない問題だと思っています。後継者だけに着目するより、事業の発展性に目を向けるべきかもしれません。お茶農家のネットワークだけに閉じずに、地域や組合、時には他業種とのコミュニケーションやネットワークも大事にする必要があると思います。
マリコロ:ニーズが高まっているお茶の種類はあるのでしょうか。
西:しいて挙げるなら「抹茶」ですかね。海外需要なども考慮すると、抹茶に関しては品質も含めて自信があります。ただし、今後のお茶業界を考えるとペットボトル需要など大量生産が必要になる分野でも採算が出るようなやり方を考える必要がありますね。
マリコロ:業界全体として、今後どのような発展を望んでいらっしゃいますか。
西:需要と供給のバランスを考える必要はあるでしょうね。うちはありがたいことに生産以上の需要がありますが、業界全体としてはそうは言い切れません。信念としては、自社だけでなく地域全体としてのブランドを考えるようにしています。「なぜノウハウを公開するの」「なぜライバルと手を組むの」とよく聞かれますが、ブランドは小さいコミュニティでは確立が難しいと考えています。大きいブランドにしたいという意味ではなく、「あの人たちならでは」という絶妙な立ち位置が理想です。
すべて自分で決められる農業経営の魅力
マリコロ:若い世代にはどのようにお茶づくりの魅力を伝えていらっしゃいますか。
西:「お茶」と聞くと古典的なイメージがあるかもしれませんが、今は機械を入れたオートメーションなど多様化が進んでいます。かつてのように男性しかできない、体が汚れてしまう、というイメージではなくなってきました。ワーク・ライフ・バランスではないですが、自分で繁忙期を決められる自由さも、若い世代にとっては魅力ではないでしょうか。
マリコロ:サラリーマンも経験されたことのある西社長にとって、農業経営者の魅力とは何でしょう。
西:全てが自分で決められることは、難しさでもあり面白さでもあると思っています。例えば東京に抹茶の店舗を出したり、カフェテリアにノウハウを渡したり、など自由な発想で色々なチャレンジをしています。自分の創意工夫でチャレンジができる面白さがありますね。
マリコロ:西社長ご自身の夢や今後の目標について教えてください。
西:夢はお茶を通じて色々な人とつながることです。「夢」というよりは、もう少し現実的な目線で「できる」と思ったことを目標として取り組んでいます。社長就任時の初日に「10年計画」を立てました。そこから5年、1年、毎月…とブレイクダウンして、今日の仕事を作ってきました。計画は数値というよりも「周囲からここまで信頼される会社でありたい」「農家が幸せになっていないといけない」という状態像がメインとなっています。
マリコロ:最後に、西社長ご自身の後継者についてはどのようにお考えですか。
西:正直、自分が退いた後のことはあまり考えていません。自分自身も社長になったとき「親父の会社を引き継いだと思ってしまうと自分の仕事ができない」と感じていました。「継いだ」と思い込みすぎると、先代がやってきたものを守る姿勢になってしまいます。今の会社を誰かに渡すとしても「自分の意思を継いでくれ」とは言いたくないですね。後継者が好き勝手にできる土壌を整えることが自分の役割だと捉えています。